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51 プロポーズの返事
アンドリューが私をじっと見つめる。前世とは違う、緑色の瞳で。
「キャスリンも、お前にとても懐いている。できれば本当の姉になってもらいたいと言っているんだ。だからキャスリンのためにも、私と結婚してロラン王国の王妃になって欲しい」
返事をしようと口を開きかけた私を、アンドリューは手で制した。
「……すぐに返事はしないでくれ。条件反射で断られたくはないんだ。じっくりと考えてから答えを出して欲しい。来週、お前がキャスリンと会う日に少し時間を作るから、その時に聞かせてくれ」
そう言ってアンドリューは王宮へと帰って行った。
(アンドリュー……本気なの? 私と結婚したいって)
アンドリューが帰った後、私はアデリンだった前世を思い返していた。
前世で……私は確かにリカルドが好きだった。
口は悪いけど面倒見がよくて、優しさを行動で示す人。一人ぼっちの神殿で眠れない夜には、一緒に旅した日々をいつも思い出した。あの頃に戻りたいと、幾度涙を流しただろう。
観月祭の夜にリカルドを拒んだことは、触れられない傷として心の奥にしまいこんだ。あの日のことを考えると私は聖女でいられなくなる。何もかも捨てて、リカルドのもとへ行きたくなってしまう。今さら、受け入れてもらえないだろうけど。
私は聖女の勤めに専念し、清らかな聖女らしく振る舞うことでリカルドへの想いを消そうとした。だから彼が亡くなったと聞いた時はホッとしたのだ。これで、叶うことのない望みを捨てられると思ったから。
(アンドリューはリカルドとアデリンの想いを叶えるために結婚しようと言ったわ。でも、それならばアイリス・ホールデンはどうなるの? アンドリュー本人は? 前世のために私たちは生きているの?)
私は自分の気持ちを正直に見つめ直そうと思った。本当はどうしたいのか。それだけを一週間、考え続けた。
☆☆☆☆☆
そして今、あの時の返事を告げようとしている。
「ええ。私の返事は――NOよ」
アンドリューはわかっていたのだろう、表情一つ変えずに聞いていた。
「理由を――教えてくれないか」
「……前世のアデリンは、リカルドのことが好きだったわ。それは本当よ。彼女は観月祭のことをずっと後悔していた。でも何より後悔していたのは、自分の気持ちを彼に告げなかったことなの」
私は一つ息を吐き、思いのたけを全て話そうと思った。
「リカルドも、アデリンを好きだとは言わなかったわね。神殿を出ようとは言ってくれたけど」
アンドリューの目に動揺の色が浮かんだ。
「私たちは二人とも、臆病過ぎた。もしどちらかが素直に自分の気持ちを告げていたら……何かが変わっていたかもしれない。でももう終わったことなの」
私は日傘の下で顔をアンドリューに向け、微笑んだ。
「アンドリュー、あなたが求めているのはアデリンで、アイリスじゃない。あなたはずっと前世に囚われたままなのよ。だってあなたは今の私……アイリスを好きだとはやっぱり言わなかった」
騎士たちの訓練が終了したらしく、教官による挨拶が聞こえてきた。大きな声が響く。
「アデリンとリカルドの想いを遂げたいとかキャスリンの気持ちがどうとか、そんな理由で結婚するのは嫌だわ。好きなら好きってちゃんと言葉に出して言ってもらいたい」
エドガーが訓練を終えて顔を洗いに行くのが見えた。もう間もなくこちらへ来るだろう。
「私は、エドガーが好きよ。折に触れてその気持ちを伝えてきたし、彼もそれに応えてくれた。いつでも私を大切にしてくれて、好きだよって言ってくれた。泣き虫で弱虫で、でもとても優しくて努力家のエドガーをアイリス・ホールデンは愛しているの。だから、あなたのプロポーズはお受けできません」
アンドリューは目を伏せてじっと聞いていたが、やがてポツリと言った。
「愛してる、か。前世でも今世でも言ったことがないな」
「……あなたは愛情を表現するのが苦手で不器用。そういう人だとわかっていても、寂しいものよ。でもね、今世のあなたからはキャスリンに対する愛情深さはとても伝わってきたわ。言葉も表情もとても甘く優しかった。今後は好きな女性にもキャスリンと同じように接するといいわよ。甘やかされて嫌がる女性はいないわ」
アンドリューはフッと自嘲気味に笑った。
「……お前から恋愛の講義を受けるとは思わなかったな」
「ほら、そういうとこ! 意地悪な言い方はやめなさい!」
私たちは顔を見合わせ小さく笑った。
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