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1614に逢いましょう
自分の恋人に対して、「今にもどっか行っちゃいそうだ」なんて思ったことはある?
僕の場合はしょっちゅうだ。
あ、浮気性とかそういうんじゃなくて。
いつも夢見がちというか、ぽやーっとしてて、話しかけてもあんまり聞こえてないや、みたいな感じ。
彼女はいわゆる歴女っていうのか、大学でも熱心に日本史を学んでいる。
一目惚れだった。キャンパスでたまたますれ違った時、なんて可愛いんだろうって。ちっちゃいのに本を何冊も抱えていて、化粧は薄いのに肌が真っ白で、ショートの黒髪に丸い眼鏡で……そして、それこそ夢でも見ているみたいにぽわ〜っとした大きな瞳で。
恋愛には興味がないって言われちゃったけど、何度もアタックして、どうにか恋人にしてもらえたんだ。
彼女は口数も少ないから、決して自分の趣味を僕に押し付けたりはしてこなかったんだけど。
夏、七夕の時期、願い事ってある? なんて訊いてみたら、こんなことを言っていた。
「そうだね。もしも願い事がひとつだけ叶うなら、この目で本物の真田信繁を見てみたい」
「ふ、ふぅん? ノブシゲさん? 有名な人?」
「うん、大坂の陣……。夏も捨てがたいけど、やっぱり、信繁が真田丸を駆使して戦えた冬がいいな。本当に、本当に……ほんのひと目でも真田信繁に逢えたなら、その場で心臓を撃ち抜かれて死んでもいい」
「えっ、えっ? ヤダヤダ死なないでよ〜……!」
たまに熱く語ってくれるのは、やっぱり日本史のことばかりで。理工学部の僕にはさっぱりだったから、話し相手としてはさぞ物足りなかったことだろう。
そういうこともあり。
彼女の夢見るような瞳を見ていると、ああ、いつか僕を置いてどこかに行ってしまうんじゃないかって、不安に駆られることがある。
もちろん、束縛になってはいけないけど。それでも、できる限り一緒にいたい。彼女がノブシゲさんを好きなのに負けないくらい、僕だって彼女が大好きなんだから。
寒い日だった。
お互い三限目までで、バイトも休みだから、晩御飯は僕のうちで鍋でもしようって約束だった。
だけど、なかなか彼女は現れない。また図書館で調べ物に熱中してるのかな?
外を見ると、雪が降ってきていた。急いで彼女にメッセージを送った。
『雪だよ!』
『今天気予報見たら、結構積もるらしい』
『東京はめっちゃ雪に弱いよ! のんびりしてたら電車止まっちゃうかも! 早く帰っておいで』
『お〜い』
『気づいて〜』
その頃にはもう、いてもたってもいられず、コートを引っつかんで部屋を飛び出していた。
陽の落ちかけた街は既に冷たくて、うっすらと雪化粧を施されていて。
ぶんぶんと頭を横に振った。なぜだろう、吹きすさぶ雪の中、僕に背を向けて、どこかへ歩き去っていく彼女のイメージが浮かんでしまうから。
『外出た! 雪でテンション上がっちゃったから』
『もう電車乗った?』
『ついでに駅まで迎えに行ってもいいかな』
『今どこ? 何時に到着予定とかわかる?』
既読が付かないのにとても焦る。
一方で、ああやりすぎかなって怯えもしたから、送信はそこまでにしたけど。かじかむ手でスマホを握りしめたまま、画面を見つめ続けずにはいられない。
早足で歩き、コンビニで彼女のための温かい飲み物を買い求め、そしてまた駅へ向かう間。じっとじっと、返事を待った。
夢見がちな彼女が、どこか遠いところを見つめているようなあの子が、まだ僕のそばにいてくれることを信じながら。
スマホが震えた。短く、一度きり。
降りしきる雪のノイズに邪魔されながら、しっかりと僕の網膜に焼きついたのは、実にそっけない一言。
『1614』
16時14分着の電車ってことか……。
もう16時を回っている。
ああよかった、もうすぐだ。
このまま駅前で待っていれば、また彼女に逢える。
いつも通り、ぽや〜っとした瞳で歩いてくる小さな彼女を、何でもないみたいな笑顔で出迎えよう。……
一気にほっとしたこの時の僕には、想像もできなかった。
これから17時になり、18時になっても。
翌日、翌週、翌年になっても、もう二度と彼女は帰ってこないだなんて。
ひとり浮かれる僕の頭上で、大きな街頭スクリーンが奇妙な出来事を報じている。
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