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・綿菓子奴隷になりそうになった。
皆さんは綿菓子好きですか? わたしはすごく好きで、何とかして自力で作れないかとレシピを探したりしています。ですが、レシピサイトで見つけたレシピの最後には「こんなに頑張ってもちょっとしか出来ないのか……と思います」みたいな寂しい言葉が書いてあって、どうせならいっぱい食べたいよなあと思って、どうすればいいのかなとずっと考えたりしています。そのくらいには好きです。
で、これはちょっと前の話になって、寒くなくなったと思ったらめちゃんこ暑くなってきた時期のはなしです。4月くらいだったかな? 体感としてはセミが鳴いていてもおかしくないような暑さの中、自転車を漕いで買い物に行っていました。
高架下のちょっと薄暗い通り道。一生はいることのなさそうなスナックなどが立ち並ぶ通り道の片隅に、場違いな橙色のそれがありました。
「わたがし 50円」
ちょうど1メートルくらいの高さの、小さい綿菓子機でした。おそらくスナックの方がお小遣い程度になればと置いたものなのでしょう。ですが子どもがほとんど通らない道なので、埃をかぶっていました。
「わたがし 50円」
暑さで疲れて、ちょっと正気を失っていたかもしれません。とにかくその時の私には、それがとても魅力的な文字に見えました。
綿菓子が好きだと言ってもかれこれ10年は食べてなかったと思います。最後に食べたのは、前の職場のデイサービスで、夏祭りをやった時に作った時です。橙色のその機械は、まるで禁煙を達成した人に対する副流煙の甘いバニラの香りのように、危険な匂いでわたしを誘っているようでした。喫煙も禁煙も経験した事はないですが。
そのようにしてフラフラと綿菓子機に引き込まれていく一方で、理性は「もう綿菓子機で喜ぶような年齢ではないですよ」と繰り返し叫んでいました。
理性と本能(人間に綿菓子を求める本能があるでしょうか。ありません)の戦いは、もう大人なので大抵理性が勝ちますが、その時はなぜか本能が勝りました。カバンから財布を取り出して50円玉を探しましたが見つからず、100円玉を投入しました。かちゃんという音がして50円玉が返ってきたかと思うと、「ごう」と音を立ててモーターが回りはじめ、ザラメが絹糸のように現れました。
「おっととと」思わず漏れた声、機械の横に置かれた割りばし置き場から一本拝借して、綿菓子をまとわりつけていきます。10年越しにやってもなかなかうまく出来るもんです。
綿菓子が握り拳くらいの大きさになって、ますますそう思うようになりました。本当にやるもんだね、あんた、この店を継いでみないか? と架空の綿菓子師匠を妄想してから、いや、わたしには言語聴覚士という大事な仕事がありますので、とクールに断る妄想を挟んだところで、後ろから声を掛けられました。
「上手ですね」
妄想から現実に引き戻されたときの冷や汗が噴き出す感覚とともに振り向くと、小学生くらいの子どもが立っていました。水色の半そでのTシャツとジーンズをはいたその子は性別が分かりづらく、感情も分かりづらい感じでした。
「まあ、ね」と大人の余裕を見せつつ、綿菓子機をやっている時点で大人の余裕もへったくれもあるか? と自問自答しつつ、手だけは綿菓子を手繰っていくという、思考と手つきが完全に分離した状態になっていました。が、羞恥心が最後に勝って、速く作り終えて立ち去ろうと決意しました。
それとは裏腹に、綿菓子機は中々とまりません。もう綿菓子は顔程の大きさになっているのに、ざらめの糸はどんどん機械から吐き出されていきます。わたしの手もその機械の一部になったように、どんどん綿菓子を手繰り寄せていきます。
「止まらないよ」後ろの子どもが無感情に言いました。「そうなったら、それはもう止まらない」
「それってつまり――」
「君はここで、綿菓子がもっと大きくなるまで手繰り続けるの」
頭の中はもやが掛かったように……と言うよりは綿菓子がまとわりついたみたいにぼーっとして考えがまとまりませんでした。
「なんでそんなことを――」
「すぐにわかるよ」
頭の中では「ひえ~~~~~」と叫んでいました。綿菓子なんかほっぽりだして逃げた方が良かったのかもしれませんが、後ろの子どもも普通の子どもではないと分かっていたので(前にも書きましたが、これを書いている人の街は阪神タイガースのお膝元、つまりタイガースへの愛憎が渦巻く聖地となっていて、その影響で能力者とか異形の方とかがたくさんいらっしゃいます)、大人しく従うしかありませんでした。
そうこうしているうちにも綿菓子はどんどん大きくなります。もうわたしの身長の3分の1くらいです。
「あのー……まだ――」
「まだまだ。これの5倍くらいにはしてもらわないと」
とはいえ、もう綿菓子機の中は綿菓子でいっぱいです。ひえ~~~~~。 この時、わたしの思考は何も考えられていませんでしたが、右手に持っていた割りばしを左手に持ち替えて綿菓子機から取り出し、右手で新しい割り箸を持って綿菓子機に突っ込んでいました。
「あ、上手だね」
子どもは相変わらず感情をこめない口調でわたしを褒めてから、何も言わずに左に持っていた巨大な綿菓子を受け取りました。
5倍、という事はこれをあと4回やればいいのかと頭の中で考えて、ひょっとしたら5倍と言うのは嘘で10倍、100倍になっても終わらないかもしれない。そんなに大きくしてどうするんだと考えると、巨大な綿菓子をわたしにかぶせてけらけら笑うのかもしれないとかいう碌でもない考えも出てきます。
「言っとくけど、逃げたりしたら駄目ですよ。逃げた先で、ひどい目にあうかもしれませんから。他の人に手伝ってもらうのもだめです」
うぎゃ~~~~~。
子どもとわたしの間には変え難い力関係ができてしまっていました。「せめて人に頼むんだから、お願いします、とかさあ」なんて苦言を呈したらどうなるか、恐ろしくて想像もできません。
それからは余計なことは考えないようにしようとしつつも、頭の片隅から綿菓子師匠が声をかけてくれました。
「無心だ、福永。お前は人間ではなく、言語聴覚士でもなく、綿菓子機の一部となるのだ」
「はい、師匠」
「均一に割り箸を回す機械となるのだ。そうすることで均一な、雲のように美しい綿菓子ができるのだ」
「わかってます、師匠」
「いいか、雲のような綿菓子をつくるのだ。そのためには均一に割り箸を回すのだ」
なにせ妄想してる主体の綿菓子への理解はこの程度の物なので、師匠の教えもこの程度になります。
「ねえ、何か余計なことを考えていませんか?」子どもの声は、どこか呆れたような、怒ったような感じでした。
「あなたは余計なことは考えずに、僕(ぼくとも聞こえたし、わたしとも聞こえたのでこう表現しています)のことを考えて私のために綿菓子を作っていればいいんですよ?」
こわ~~~~~。
まさか綿菓子を食べようと思って、恐らく人外の物とは言え子どもに恫喝されるとは夢にも思っておらず、半分泣きながら――
「何を泣くことがあるんですか? 僕の為に綿菓子が作れるんだから、嬉しいことでしょう?」
――光栄に思いながら綿菓子を作り続けました。
***
――しばらくすると、耳から何かが無くなったような感覚がありました。綿菓子機が止まり、モーターの音が聞こえなくなりました。高架の上では恐らく車が行きかっているだろうけど、それさえ聞こえなくなりました。
「ありがとう、おかげで帰れるよ」
振り向くと、後ろの子どもは超巨大な綿菓子に跨るように乗っていました。
「雲から落ちてきちゃって、困ってたんです。雲みたいなものを探していたのですが、これくらいしか見当たらなくて。でもなかなか誰も作ろうとしないから、途方に暮れてたんですよ」
つまり、綿菓子なんか作る変わり者はわたしくらいのもんだ、と。
「ありがとう。このお礼はいつかどこかでします。……それとも、また綿菓子を作らされたいですか、なんて」
子どもはそう言って空に昇って行きました。昇って行きましたというと死んじゃったみたいですが、元々そういう生き物だったのか、それとも何かの怨霊みたいなものだったのか。とにかく、子どもが見えなくなったところで溜息を吐いて、本来の目的だった買い物に出発しました。
***
とにかく、その日以来綿菓子機には近づかないようにしています。今から思えばあんなに綿菓子に惹かれていたのも、あの子どもが何かしたかもしれないし、よくよく考えてみればそんなに綿菓子好きか? とも思えるようになってきています。
それでもまたあの子どもが目の前に現れて、「また綿菓子を作ってくれますか?」なんて言われたら、何故かは分からないけどとても逆らえそうにありません。と言う訳で皆さんも、綿菓子機にはお気を付けください。ほんとに。
おわり。
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