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・言語聴覚士が笑わないわけ
ちょうど(何がちょうどだ)先週の土曜日、細かく刻んだおかずを食べている利用者さんについて「形のあるものを食べることはできないか」と相談がありました。やっぱり粉々のおかずよりも形のあるおかずを食べたいですよね。というわけでその利用者さんを見に行くことになりました。
行った先には割とベテランな看護師さんがいて、その利用者さんについてのあらましを聞いて、利用者さんの歯とか舌とか喉の様子とかお茶を飲んだ時の音とかを確かめて、それじゃあ来週の月曜に(週末に食事の形を変えると、それによって不都合があったときに、日曜日では人員が少なくて対応できない場合があるので、そういうことは避けます)お試ししてみましょうかと話をして、そういうことになりました。そのときに、看護師さんがチラ、とわたしの名札を見て、からかうように、
「福永さん、笑うんですね」と言いました。
「そりゃあ、人間ですし」としどろもどろにニヤついて当たり障りのない返答をするわたしを無視して看護師さんは「どうしてそんな風に笑わないんですか?」と付け加えました。
土曜日というのは結構時間があって(施設でのリハビリは「週に何回やる」と規定があります。別に何曜日に行こうと個人の裁量なので、わたしは週の前半にリハビリを沢山行って、週の後半に時間を作って書類をつくるようにしています。というわけで土曜日には時間があるのです)、急ぎの書類は殆どなかったのと、まあ別に話して困ることでもないかと思ったのとで、
「話せば長くなりますが、」と前置きして話し始めることにしました。
今でこそ言語聴覚士という仕事をしていますが、新卒のときは資格も何もなく、縁故採用でとってくれたデイサービスで介護士をしていました。就職と同時に資格をとるための学校? みたいなところには行っていたのですが、実態として資格をもってなかったので、出来ることと言えばお茶組みとかお話をきいたりとか、食事の前やおやつのあとの当たり障りのない体操と、利用者さんの送迎をやったりしていました(食事介助とかお風呂とか、そういう事故が起こりやすいことはさせてもらえませんでした、ということ)。
当時の先輩から口を酸っぱくして言われていたのは、そういう立場であっても、とにかく笑顔で、挨拶を欠かさないことでした。挨拶はまあできるとして、笑顔はどうにも苦手で、結構なストレスになりながらもまあ意識して頑張っていたような思い出があります。
問題は、その時に来ていたおばあちゃんでした(人に対して「問題」と言ってはいけません)。便宜上Yさんとしますが、そのYさんは右半身に強い麻痺がありましたけど、明るくて、よく言えば裏表のない、悪く言えば思ったことをずけずけ言ってくる人でした。
週に二回来ては「今日の飯は美味しないな!」とか「Kさん(当時の同僚)がおらんと風呂入らへんで!」とか、大きな声で色々と言っていました。それで、わたしに対しては挨拶のたびに「おはよう! 今日も笑顔硬いな! ワハハ!」という感じで挨拶をしていました。それを聞いた先輩や社長は、わたしと会うたびに「まだ硬いってよ」と苦言を呈してくるのでした。
と言う訳で、Yさんが来る月曜日と木曜日は憂鬱な気持ちになっていましたが、だからといって休むというわけにもいかず、やって来るおじばあちゃんをぎこちない笑顔で迎えては、Yさんに「笑顔カチカチやな」と揶揄われ、「いつまで経ってもやなあ」と小言を言われたりしていました。
で、その日の送迎で、Yさんをお家まで送ることになりました。その日は雨で、いつもは玄関先でヘルパーさんが待機しているのでYさんをヘルパーさんにバトンタッチして帰っているのですが(原則としてデイサービスの職員は玄関までしか送迎ができません。カスみたいな法律!)、その日に限ってヘルパーさんがどこにもいませんでした。後になって分かったのは、ヘルパーさんは前のお家でトラブルがあって、かなり遅れていたということです。
車の中でYさんと2人でヘルパーさんを待っていたのですが、中々やってきません。
「遅いですねえ、事故とかに遭ってないといいですけど」「まあ、あの人やったら車に撥ねられても死なんやろ(確かにそのくらいタフな人だった)」などと話をしていても一向にヘルパーさんは来ません。
5分ほどまったところで、Yさんは流石に痺れを切らしてしまいました。「もうええ、あんた、傘持ってきてるな、家まで入れて!」
「と、言われましても鍵しまってるんじゃないですか?」
「郵便受けの下に鍵入れてるところがある! 番号は1102や! 開けてきて!」
今の自分なら会社に事情を説明して指示を仰いだことでしょう。ただ、駆け出し社会人のペーペーだったこのときのわたしはだいぶ緊張していて、頭の中はてんやわんやの八方塞がりでした。
というわけで、「そういうわけにも……」としどろもどろになっていたのが良くありませんでした。
「もう!」Yさんの堪忍袋が切れてしまったのです。「それなら強制的に外に出すまでや!」
おばあちゃんの身体からぐにゃり、と黄金の闘気が溢れ出しました。
「ちょっと、こんな狭いところでーー」
「問答無用!」
皆さんご存知の通り、関西は阪神タイガースのお膝元。そこはタイガースへの愛憎が渦巻く聖地となっています。そんな場所で長年にわたって阪神タイガースを応援し続けることは、そこに蠢くスピリチュアルなパワーを体に取り込むことと同義。つまり、歴戦のタイガースファンたる関西のおじばあちゃんは、スピリチュアル・パワーを闘気に変えて操り、戦うことができるのです。
「吹き晒せ……【六甲颪】!」
わたしは急いでドアを開け、転がるように車の外に出ました。次の瞬間に「ごおっ!」という風の吹く音がして、車の中に置いていた会社の携帯電話が15メートルほど先まで吹き飛ばされました。間一髪です。熟練者の【六甲颪】を密閉された空間で受けてはひとたまりもありません(振り返ってみればYさんは手加減してくれていたと思いますが)。
「ちょっと、危ないですって!」
「やかましい! やめて欲しかったら早いとこ鍵を開けて、私を家の中に入れなさい!」
Yさんはその闘気で自分の車椅子を持ち上げ、車から出てきました。
「だから、そういうわけにもいかないですって!」
「わからんやつやな……。ほなら分かるまでやったる!」
おばあちゃんは少し笑いながら【六甲颪】を打ちまくってきました。
「分からずやは、そっちでしょうが!」
ここで、わたしの若さが出ました。今なら何とか穏便にすませようと声掛けをするでしょうが、事もあろうにおばあちゃんに立ち向かったのです。
「『魔窟の隅に眠る陰』!」
そう叫ぶと身体がアスファルトで覆われ、石像のように重くなりました。
皆さんもそうだったでしょうが、わたしもかつては能力者。学生時代は教室の隅でじっと寝たふりをしていたことにより、わたしの身体はその気になれば石像のように重く、硬くすることができました。
こうなってしまえば、あとは相性の問題です。いくらYさんが歴戦の闘気使いでも、私の『魔窟の隅に眠る陰』の前では効果がありません。
わたしはゆっくりと一歩ずつおばあちゃんのいる車に歩み寄っていきました。Yさんは最初こそ【六甲颪】を連発していましたが、1メートルほどの距離まで近付くと、攻撃をやめました。
「相性ってのは分からんもんやな」インペルダウン編のクロコダイルみたいなセリフを言って、Yさんは自嘲しました。「まさかあんたみたいな若造に私の【六甲颪】が破れるとは」
「もう、いいでしょう。もうちょっとでヘルパーさんも来るでしょうから、待ってましょう」
「せやな」
Yさんは素直に返事をしたかとおもうと思い出したかのように「それと」と付け加えました。
「あんたの顔、笑ってへんかったな」
「そりゃ、僕も必死ですよ。笑ってる余裕なんかなかったですよ」
「私はそっちの顔の方がええと思うで。無理に笑うこと、ないんちゃう?」
その一言は、その時の職場で言われた言葉の中で1番印象に残っている言葉になりました。それに対して、どういう言葉を返したかということも覚えていませんが、とにかく心が軽くなったような気がして、Yさんに対する苦手意識のようなものも無くなりました。
まあそれから色々あったのですが、そういうわけで、今のわたしは無理に笑うことはなくなったのですよ。と看護師さんに言いました。
看護師さんは少し考えてから矢継ぎ早に、
「そのおばあちゃんーーYさんに対しては笑顔でなくてもいいですけど、一般論として基本的には笑顔でいるべきではないですか?」
「利用者さんに対して戦いを挑むということは、老人虐待にあたりませんか?」
「携帯電話は回収したんですか?」
「Yさんは闘気を使って自分で鍵を開ければ良かったんじゃないですか?」
「というかなんでそんな嘘をつくんですか?」
と質問をしました。
あんまりにも色々な質問が飛んできたのでわたしは「いやあ、まあ、ね」としどろもどろにニヤついて笑って、その場を後にしたのでした。
まったく、適当な嘘はつくもんじゃありませんね😄
おわり
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