深夜のお散歩

1/1
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 私は今夜も、月明かりに照らされた並木道を颯爽と歩く。  時間帯も相まって、人気(ひとけ)のないのが気楽でいい。  そよ風に乗って花の香りがすれば、ほのかなパフュームをつけた気になるし、小さな動物を見かければ心が弾む。仕事上、無機質でいることを要求されるから、オフの時間はこうして、感覚を、感性を取り戻すの。  同僚の中には、バカじゃないの、という人もいる。私たちが無機質なのは当然で、それが私たちの役割なんだから。私たちは、ただ綺麗なだけの存在であればいいのよ、と。  たしかに仕事中の私たちに、豊かな表情を求める人はいないだろう。もしかすると、気味悪がられたり逃げられたりしてしまうかもしれない。そうなったら本末転倒だし、最悪、仕事を取り上げられてしまうかもしれない。  それはいやだな、と思う。私は仕事が好きだし、私たちにしかできない仕事だと誇りに思ってる。だから多少無理なポーズでも自然に見えるように工夫して、一日中静止しているの。  ともかく明日の英気を養うため、今を楽しもう……と歩を進めていると、向かいから誰かが歩いてきた。  これはまずい。私だとバレたら、二度とお散歩ができなくなってしまう。……どこかへ隠れる? 辺りを見渡すけれど、この辺りの樹々たちはまだ若い。巨木が一本でもあれば……もしくは新月だったら……  身を隠すための良い案が浮かばなかった私は、最後の手段を取ることにした。  その場で静止。  無機質に。無機質に。  仕事中を思い出し、表情を消す。これで立派な〝よくわからないけれど放置されたマネキン〟のできあがりだ。時間帯的にホラーでしかないだろうし、逃げられるのは悲しいけれど、お散歩を取り上げられるよりマシ。  足音が近づいてくる中、私は、心の中で「無機質に」と唱え続けていた。  数十秒が数分にも感じられた頃。 「あれっ?」  意外そうな口調は、どこかで聞いた声だった。思わず静止をやめて、そちらを見てしまう。 「えっ……」  私は絶句した。近づいてきたのは、3丁目の紳士服専門店のマネキン──ジェフリーくんだったのだ。 「あっ、やっぱりそうだ。君、この間の展示会にいた子でしょ」  気さくに、爽やかに挨拶してくれるジェフリーくん。 「覚えててくれたの?」  様々なブティックから出張していた、100体近くのマネキンがいたのに。 「当たり前だよ。可愛い子だなって思ってたから」 「そうなの? ウチのお店は、一番人気のリサもいたよ」 「そうだっけ? 俺、興味がある子にしか目がいかないから」  さらりと言うのがカッコいいし、ウインクも茶目っ気があって、私の中で好感度が上がっていく。 「あははっ。上手だね」  私もさらりと受け流そうとするけれど、ちょっとドキドキしてしまって表情がうまく作れない。  最初は緊張してしまったけれど、しばらく会話を交わすうちに、少し打ち解けられた。ジェフリーくんの雰囲気作りが上手いんだろう。  話を聞くと、ジェフリーくんも深夜のお散歩が好きみたい。 「今まで会ったことなかったね」 「うん。今日は全然違うルートを歩いてみたくてさ。正解だったよ」 「この並木道、綺麗でしょ」 「それもそうだけど。君に会えたからさ」 「私……?」 「うん。ずっと喋ってみたいなって思ってたから」 「そうなんだ。ありがとう」  私たちはお互いに、ふふっと笑った。  誰にも理解されないって思ってた。でも私自身が好きなことだから、それでも良いって思ってた。  わかり合える人がいるって、こんなに嬉しいことなんだ……!  帰り道、ジェフリーくんの笑顔を思い浮かべてたら、いつの間にかスキップしてた。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!