藤沢薫の懇願

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藤沢薫の懇願

 山荘に到着した時から異様な様相を呈していた。何かが起こる予感がする。  最初の命令で俺は自分の部屋に入ることになった。妻とは別の部屋になるので心配になった。妻に目をやると俺のことをじっと見ていて目が合った。俺のことを気にしているようだ。  お互いが自分の部屋に入った。部屋は殺風景で特にすることもないのでベッドに横になる。するとモニターに変化があった。  ホールで会った霧里という奴に天音という女性を殺させる命令が下った。その言葉に激しく動揺した。おいおい、冗談だろ。  霧里はさすがにこんなことはしないだろうと思ったが、ホールに残っている霧里の表情は真に迫るものだった。この男は一億円のために人を殺すのか。  天音が木のテーブルを扉に投げつけているのがモニターに映っていた。命がかかっているのだからやれることはなんでもやるだろう。  俺は扉を叩いて逃げろと大声を張り上げた。霧里が若い頃に大量殺人をした過去が明かされて驚いた。俺は記憶の中から事件を探り出した。  そこでロキが説明した通り、高校生が同級生を集めて毒殺した事件があったことを思い出した。あれは確かに犯人の行方がわからなかった。逃亡中に犯人は病気で亡くなったという噂もあったが生きていたのか。かなり昔のことなのでよく覚えていないが、もし霧里がその犯人だとすれば人を殺すのに抵抗がないかもしれない。  俺は手が擦り切れて赤く腫れるほど頑丈な扉を叩いた。ナイフを持った霧里が不気味な笑みを浮かべて映っている。恐怖という怪物に心臓が握り潰される感覚に陥った。  ホールには何も持っていない天音の姿があった。そこに霧里が現れた。 「私は大学の講師です。あなたのような若い人を教えてきました。ロキが望むような展開にはしたくありません。どうか助けてください」  天音は殺し合いではなく大鎌を使わずに無抵抗の姿で説得することを選んだのか。俺は霧里に心の中で懇願した。頼む。助けてやってくれ!  モニターの中でスロー映像のように霧里が天音の首を掻き切った。鈍い音と小さな呻き声とともに天音が倒れた。天音は壊れたガラクタのようにどさりと床に落ちた。  返り血を浴びて霧里の顔は赤黒く染まっている。天音の服に夥しいほどの血が流れている。俺は一筋の涙を流した。 『さすがは大量殺人を行った霧里様ですね。容赦なく天音様を刺しました。では霧里様も休息してください』  霧里が監視カメラを鋭く睨みつけた。 「おい。こんなことをやって誰が喜ぶんだ。ロキ、おまえも僕が殺してやる。首を洗って待ってろ!」  霧里は唾を吐き捨て自分の部屋に向かった。俺は殺人鬼が二階に上がってくることが怖くなった。隣の部屋にいる妻に話しかけた。 「おい。大丈夫か。部屋からは絶対出るなよ」  妻の返答が遅いことに不安を感じたが、慌てたような声が聞こえてきた。 「大丈夫よ。絶対に出ないわ。お互いこんなことに巻き込まれて災難ね」 「全部、俺のせいだ。俺が無理に行こうと言ったから……ごめんな」  俺は心から妻に謝った。しかし、妻からの返事はなかった。 『現役医師の渋谷様、刺された天音様が本当に死んでいるか確認してください。そして生きている場合は、はっきりとそのことをカメラに向かってお伝えください。渋谷様の部屋のロックを解除致します』
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