シャンソンが聴ける店 〜女の賞味期限〜

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――新品の安い腕時計よりも、手入れの行き届いたカルティエのアンティークを好む人もいる。僕はそんな価値のわかる男でありたい――  2年前、15歳下の彼は躊躇する私をそんな言葉で口説いた。若者の気まぐれ、好奇心ゆえの背伸びだろうから、本気になどなるまいと自分に言い聞かせて付き合い始めた。彼はすぐに私の部屋に転がり込んだ。もって数か月だろうと予想していたが、思いの外続いた。  2年も一緒に暮らしてしまったことを後悔している。39歳だった私はもう41歳になってしまった。  背中を向けて眠る彼の隣で、私は14歳の冬の日の出来事を思い出していた。  まだ少女だった私は、40を過ぎたら人間はもうセックスなんてしないものだと信じて疑っていなかった。誰とそんな話をしたわけでもなかったが、そうだろうと決めつけていたし、そうあってほしいという漠然とした望みのようなものもあった。  ある日私は母の化粧品に興味があって、両親の留守中に寝室に忍び込んだ。そしてドレッサーの引き出しの奥に仕舞われた避妊具の箱を発見した。  12個入りと書かれた箱を恐る恐る開けてみると、8個しか入っていなかった。  ものすごく、気持ち悪かった。もう中2にもなる娘の親である両親が、いまだにそういう行為をしているという事実が受け入れがたく、汚らわしく、節操なく感じた。 「いい歳して、なんなの」  今思えば、まだ社会のことも人間のことも、ましてや男女のことも何もわかっていない思春期の少女の発想だった。セックスは恋愛の延長にある若者たちのロマンチックなエロスであり、その後はいわゆる『出産適齢期』までの神聖なる生殖行為であってほしかった。  いい歳をして――生まれながらにして持っている感性ではないはずだった。気がついたらいつのまにか見るもの、聞くものから吸収した、無教養、未熟さ、野蛮さの塊のような価値観。世の中の大半の人間がその価値観の中で傲慢に育ち、歳を重ねて卑屈になっていくのかもしれない。  20代の頃、年上の男と不倫をした。40代後半のエリート・ビジネスマンだった。子どもの受験に夢中になるアラフォー妻のヒステリーにうんざりしていた彼は、知人を介して知り合った独身の私との遊びで憂さを晴らしていたのだろう。
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