事件

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『副社長が事件に巻き込まれたという事で、警察に金田の言い分を聞いてきましたが……』  その後、車内で秘書からの電話を受ける。 『金田は〝あの女に自分を刺すよう命令された〟と主張しているようです』 「…………」  暗くなった車内で、秀真は脚を組み溜め息をつく。 「愛那さんがどこかで金田と繋がりを持ち、自分の言う事を聞かせるよう手懐けたという事か」 『恐らく』 (……彼女ならやりかねないな)  愛那は傍から見れば極上の美人だ。  スタイルもいいし、頭がいいので人を不快にさせない受け答えも上手で、彼女と話した人のほとんどが「素敵な女性」という評価を出す。  ごく一部、野生の勘のようなものを持つ人や、少し前の花音のように、愛那から敵意を剥き出しにされた人はそう思わないだろうが。  秀真自身は愛那の美貌や頭の良さを認めても、女性としての魅力を感じなかった。  多才な人であるがゆえに、抱えている闇が大きそうだと初対面の時にピンときたのだ。  人間だから、どのような側面を持っていてもおかしくない。  だが付き合うからには、自分で自分の感情を御しきれる人に限る。  不機嫌になった時に、自分の美貌や魅力を盾にして許されようとする女性を、秀真は何人も見てきた。  だから愛那と初めて会った時に、漠然とした感覚だが「この女性に深入りするのはやめておこう」と思ったのだ。  逆に花音は表面的な感情の揺らぎがあっても、奥底にどっしりとした落ち着きを感じる。  なので秀真も、「彼女となら……」と未来を考えた。  今は花音と話すたび、メッセージを交わすたび、彼女の気遣いや言葉選びなどに、どんどん魅力を感じる。  ――花音。  心の中で愛しい彼女に呼びかけ、秀真はギュッと目を閉じる。 「……彼女が自作自演で金田に自分を刺すよう命じたとして、その目的は俺との結婚か……」  分かりきっている結論を口に出し、秀真は溜め息をつく。 「……そこまでするほど、俺の事を知らないだろうに」  そのあとにボソッと呟いたのは、完全に独り言だ。  愛那とは本当に数度会って、社交辞令的に何度か食事をした程度だ。  もしかしたら演奏会で偶然会ったのを、あちらは運命だと思っているかもしれないが、秀真からすればたまたまの出来事だ。  お互い音楽に興味があるなら、都内の演奏会で顔を合わせるのも〝運命的〟など言わない。  秀真だって演奏会に行くたび、毎回決まった〝上流階級の面々〟と会っている。 『副社長はご自身が思っている以上に、女性にとっては優良物件なんですよ。見目麗しいですし、温厚で特に欠点がない。多少根暗ですが、夫にすれば将来安泰なんでしょう』  歯に衣着せない秘書の物言いに、秀真は思わず笑みを零す。 「褒め言葉として受け取っておくよ」 『ありがとうございます。それは別として、金田の事は会長や社長にもご報告しました。恐らく今夜中には副社長にご連絡がいくのでは……と思っております』 「分かった。報告ありがとう」  一度秘書との電話を切り、秀真は溜め息をつく。  結局、スマホの事を愛那に聞けずじまいだった。 (面倒な事になりそうだ)  あの蛇のような女が、ちょっとやそっと周囲に怒られたからと言って、自分の意志を曲げるように思えない。  何より最悪なのは、本来なら子供の歪んだ行動を諫めるべき親が、愛那の言いなりになっている事だ。 (祖父母も、両親も、俺が花音と結婚したいと思っているのは理解している。許可も得ていて、今後に花音にプロポーズしたあとの予定も話している)  だから大丈夫だと自分に言い聞かせたいのに、どうしても嫌な予感は払拭できなかった。  十月二十三日に愛那が刺された事件は、それほど大きな事件にはならなかったようだ。  秀真が関わっているので、もしかしたら瀬ノ尾グループの方で大事にならないよう取り計らったのかもしれない。  札幌に戻ってから一週間ほど、愛那が刺された事件がワイドショーなどに取り沙汰される事はなかった。  ハロウィンを迎える前に、スマホを新しくした秀真からきちんと連絡はあったので、ひとまず安心する。  ただ電話をした時にあまり調子が良くなさそうなので、ずっと心配はしていた。  加えて、愛那が刺されたのは、自作自演による可能性が高いとも聞いた。
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