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「島に行ったら、彼は若い女とうまくやっていた。後悔したわ。レオを嫌いにはなれなかったけど、自分から結婚生活を破綻させようとしてしまったと思ってね。」
アナは俯いて、冷めた横顔で後悔しているような素振りを見せた。衝動的な行動を取るような人ではないと思っていたから、私はアナの激情を受け止めきれずに絶句していた。
「イギリスに帰って、もう一度、やり直すことにしたの。リチャードとね。でも結局彼は心の底で許してはくれなかった。私が本当にレオを愛しているのが分かったんでしょう。男のプライドかしらね。友達に妻を寝取られるなんてね。」
言葉の背後にはたくさんの場面がある。たくさんの会話や思いから、幾つかを言葉にして今に蘇らせる。アナの頭の中には当時のリチャードとの口論やレオへの思いが再現されているようだった。
「離婚はしたくなかった。ケイトのためにも、親のためにもね。結婚生活を破壊するなんてあってはならないことだから、随分悩んだわ・・・親にはなかなか言い出せなかった。でもすがりつく?男にしがみつくなんて恰好悪いことできないわ。私は一人でだって生きていける。」
離婚すること自体が大罪のような常識を持っていながら、意図せずに働く女性の先駆けになってしまったようなアナは、時代に揉まれて、その狭間に落ちて行くようだった。
「結局離婚して、私はケイトを連れてレオのところに行ったの。彼には他に女がいたけど、それでもよかった。傍にいられれば。一人ではいられなかったから。」
過去の一大決心をアナは後悔しているのだろうか。それともレオと結婚したかったのだろうか。私はその後のアナの人生に映画を見るかのようにのめり込んでいった。
「彼は黙って話をずっと聞いてくれた。そして、自分は私と結婚できるような人間じゃないって、何度も言ってたわ。家庭を築くなんて、私を傷つけることになるって。自分でなくなってしまうって。私にはよく理解できた。彼の言っていることが。レオは人生のすべてを芸術に捧げていたから。家族に割ける時間も余裕もないのよ。」
アナはこれまで見せたことのない寂しそうな顔をした。ゆっくりとされた瞬きは穏やかに静かに昔の時を受け止めている。愛するべきでない人を愛してしまったのだろうか。
「レオを愛していたし・・愛されていた・・と思う。他にも女はいたけど・・それでもよかった。傍にいたかった。おかしな関係でしょ。あなたから見たら。でも離れたくなかったのよ。」
私はケイトのことを当時どう考えていたのか聞きたくなった。多感な10代の出来事はケイトの思春期にどんな影響を与えたのだろう。
「ケイトは島の生活を楽しんでいたの?」
「ええ、初めはね。でもしばらくしてリチャードに会いたがったり、精神状態が少し不安定になって、私は普通の生活を取り戻さなきゃいけないと思ってイギリスに戻ったの。ケイトのためにね。毎日同じ生活をするのよ・・・島を出ても、しょっちゅうレオに電話したわ。今とは違って、手紙と電話しかない時代の話よ。」
世界中何処にいても、相手の顔を見て話ができる時代の人間には想像のつかない不自由な恋愛は、恋人たちを燃え上がらせるのだろうか。それとも鎮火させるのだろうか。
物語の先が見えないけれど、12時になってしまった。アイラが階段を上がってくる足音が聞こえる。私は諦めて録音を止めて、また明日にしましょうとアナの話を遮った。アイラが部屋に入って来て、アナの血圧を測り始めた。
「じゃあ、また明日。」
私がそう言うと、アイラが微笑んで頷いた。血圧計に手を差し出すアナは、あらぬ方向を真剣な眼差しで見ている。全く表情のない顔は何を見つめているのだろう。私はアナの目線の先を考えながら部屋を出て、帰途に就いた。
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