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しかしアナとの会話はそんな緊張するようなことばかりではなく、そのほとんどは楽しかったと記憶している。彼女は自由で自信があり、確固とした彼女独自の価値観を持っていた。彼女にグレーはなくて、何を話しても一刀両断に見事に黒と白に切り分けてくれるようだった。私は彼女の容赦ない的を射た鋭い指摘が大好きだった。
大女優のパーティードレスであろうと、パリコレのオートクチュールであろうと、僅かな忖度もなく彼女はデザインの美醜を指摘した。
私はそんなアナの言葉を走り書きでメモしていた。
『唯一の創造でなかったらドレスはつまらない。人生と同じよ。一瞬一瞬が新しく輝かなかったら生活の意味がない。死んだも同然。』
尊敬するマダム・グレの話をしてくれた時に、アナが言ったデザイナーらしい言葉だ。私は古い記憶の欠片から役員秘書のIさんを思い出した。
Iさんとは、私が日本に帰って来て最初に働いた会社で出会った。職場で顔を合わせる程度で、ほとんど会話らしい会話もしたことがなかったが、休憩室で見かける彼女の繰り返される日常を不思議に見ていた。
Iさんは秘書業一筋で勤続45年、生涯独身で定年まじかだった。毎日同じサンドイッチを作って持ってきていた。トマトとレタスとハム。サンドイッチの具が変わることはない。同じパックに入れて。毎日同じ時間に同じ昼食を食べる。絶対に変わらない。
彼女は毎日同じ時間を同じようになぞって生きているようだった。私はそれが奇妙に思えてならなかった。決して波風は立たず、静かな毎日なのだろうと想像したが退屈ではないのだろうか。会社の外でも同じ時間をなぞるように旋回して生活しているのだろうか。
アナとは正反対のIさんのことを考えると、アナが単調な結婚生活によく耐えられたと、むしろ不思議になった。アナのような人が毎日同じ生活をするのは到底無理なように思える。彼女なりに我慢をしていたのだろうか。
私はアナの78年に興味を持ち始めていた。
『結婚/離婚理由/ケイト駆け落ち/結婚観/時代/60年代・・・』のメモを見て、私は最後のインタビューでアナに日本に帰ると告げた時のことを思い出した。
「夫が日本に帰国するので、私も一緒に帰ることにしました。」
「それでいいの?」
「?」
「あなたの人生をちゃんと考えているの?」
「夫と一緒にいたいし、日本でも仕事は続けますから。」
「あなた、夫を愛しているから日本に帰るのね?」
「えぇ、もちろん。愛しているから結婚したんだし・・」
「エマ、結婚はそういうもんじゃないわ。」
当時の私はなんだか言っている意味がわからなかった。今でもわからないが、アナに深く聞き返すこともしなかった。結婚や私生活については、彼女の逆鱗に触れた前科があったから、不用意には尋ねられなかった。あの時はあやふやに会話を終わらせたはずだ。
アナにとって結婚って何なんだろう。今になってあの時何を言いたかったのか、どういう意味だったのか知りたくなった。でもメモの言葉は推察するには足りなかった。
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