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「今日はご挨拶だけの予定でしたけど、よろしいんですか?」 アナの言うことは絶対だ。私は逆らうことはできない。 「もちろんよ。さあ、始めましょ。」 アナは僅かに身じろぎして姿勢を整えた。私はノートを鞄から出して、iPhoneで録音を始めた。 「時間よ。」 アイラがノックもせずに勢いよくドアを開けて部屋に入ってきた。 「今、インタビューを始めるところなのよ。」 アナが抗議する言葉を聞き流し、アイラはベッドサイドテーブルに水を用意して薬を飲ませる支度をしている。 「ダメ、ダメ、今日はここまで。」 「どうして、エマはまだ来たばかりよ。」 「今日は30分だけって約束でしょ。」 「えぇ、そうでした。すみません、失礼します。」  私はアナの体調を考えて、やはり初日は予定通り挨拶だけで帰ることにした。アナのクレームをうまくかわすアイラの慣れた返答を背後に聞きながら、私はアナの家を出てきた。  私の思考は絡まっていた。78歳のアナという現実と二十年前の記憶が自分の人生の記憶の断片と入り混じってまとまりなく脳裏を行き来する。  次の日から散らかった記憶を整理するように、インタビューを始めた。 「おはよう、アイラ。アナの具合はどう?」 「変わらずよ。大丈夫。でも2時間にしてね。」 「了解。」  アナの部屋のドアは開かれていた。ゆっくり部屋に入っていくとアナがベッドに上半身を起こして座り、私を待ち構えていた。窓から差す陽射しがベッドの足元まで届いて、温かく包んでいる。昨日と同じように壁と天井だけが、二十年前と同じ豪奢な貴族の家なのに、床の面だけが病室になっている。また不思議な感覚になる。 「おはようございます。」 「おはよう、エマ。」  声には張りがあり、昨日より元気に見えた。私は録音とメモの準備をすぐに始めて自分の腰かける椅子を探したが、私が座って落ち着く前にアナは待ちきれないように話し始めた。 「ケイトは今でもあの貧乏画家と一緒にいるわ。覚えているでしょ。ケイト、私の娘の。あの子は頑固なのよ。」  私はケイトのことで、アナと結婚について話したことを覚えている。アナにとっての結婚は無形文化財のように重要なもので、私とは全く違う考えであることに気付いて驚いた。莫大な財産のある人にとっての結婚は人生の契約であり、簡単に署名できるものではないのだ。  ケイトは駆け落ちした一文無しの画家と結婚したのだろうか。私は聞いてみたかったが、話し続けるアナの腰を折ってまで質問できなかった。アナの止まらないケイトへの愚痴を聞きながら、私は女友達のKの一言を思い出していた。 「一番好きな人とは結婚できないのよ。」  Kが純白のウェディングドレスを着て、私の耳元で囁いた。忘れられない。Kの美しい花嫁の横顔は寂しく輝いていた。  彼女は有名なコンサルティング会社の日本支社長と付き合っていた。不倫だった。5年近くその関係は続いていたと思う。でも結局、二番目に愛せる男を探して結婚した。Kの結婚式の涙がどんな意味を持っていたのか、私にはわからない。幸せかどうかもわからない。
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