レンズの先に

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――先週――  満員電車でスマホを取りだせない萌は、先週末に行った先見堂を思いだしていた。商店街に昔からある眼鏡屋。萌が初めてコンタクトレンズを買ったのは、この店だった。  店奥の機器で、店主の老人に視力検査をしてもらい、細やかな説明を受けた。今では彼は亡くなって、その妻が一人で店を経営している。 「婆ちゃん。だから明日から学校があるし、新しいレンズは二週間後って言われても困るってば」 「仕方ないでしょうが。既製品だったらすぐ渡せるけど、あんたのコンタクトは乱視も入っているし工場で作ってもらうんだ」  老婆はレジ内で舌打ちして、伝票の数字を確認している。客は萌一人。有線放送もかけない店は静かで、二人の言い合いがよく響く。 「レンズの手入れで(こす)り洗いしていたら破けるなんてある? 不良品掴ませたでしょ」 「ゴリラみたいな腕力で乱暴に扱うからだろが。だいたい一年以上たっているんだから経年劣化だよ。とんでもないクレーマーだ。いたいけなババアをいじめるつもりか」  萌の頭上に大きめの疑問符が浮かぶ。"いたいけな"という形容詞が、この婆ちゃんに繋がらない。"暑苦しい"ペンギンぐらいに、意味不明だ。 「仕方ないねえ」  老婆はぶつぶついいながら、コンタクトの箱の山から数個を引っ張り出した。眼鏡を取り外して、箱の側面をためつすがめつ眺める。そして萌に一つを差し出した。 「ほれ、度数があっている箱。1dayで二週間分あるから。手元とか近いところは見づらいかもしれないけどさ。これでしのぎな」 「やった。ありがとう婆ちゃん、愛してる。店の都合だから勿論サービスだよね」 「馬鹿を言ってんじゃない。完全にあんたが悪いし、定価販売だ。さっさと洗面台で一つ付けてみな」  はいはい、と萌は鏡前の椅子に腰かけた。コンタクトの封を開けて目に取り付ける。途端、萌の体に衝撃が走った。  ぼやけた風景が鮮明に見えて感動した……からではない。店の入口に妙な者が見えたのだ。中背の人型だが人間ではない。真っ白の体で、頭部に髪の毛がない。なにより全身が目だらけだ。 「ば、婆ちゃん。自動扉の脇に変な人がいる」 「なに? 妙なこと言っても、一つ使ったんだから取り替えないよっ」  老婆は、萌が指さす方にずんずん歩く。 「誰もいないよ。この辺かい?」  空中をかき混ぜるように、右手をまわした。 「全身が目だらけの人がいるじゃんっ。あああ、婆ちゃん目つぶししているよ。目人間がめっちゃ怒ってる」 「何言ってんだい。そんな大量の目玉をもつ奴がいたら、眼鏡屋のあたしゃ今頃大金持ちだよ。早く金を払って帰りな」  目人間はレジに向かう老婆へ、両手を揺らしていた。うちわを扇ぐかのようだが、呪いを飛ばしているのではないか……萌は見ないふりをして勘定をすませる。店を飛ぶように出て、帰宅した。    それからは萌がコンタクトをつけると、子供のお化けや枕フェチおじさんが見えるようになってしまった。  別の1dayコンタクトに換えてもらおうと、翌日再び来店した。  しかし先見堂は閉まっていた。閉じたシャッターに、《店長、発熱の為しばらく休み》とよれた字で書かれた紙が、貼ってあった。
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