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「まずはお前が言うところの、変態枕フェチ。この方は妖怪、枕返しだ。人間の枕をひっくり返したりずらしたりすることを好む。東北地方で目撃されたという文献が多い。出現し始めたのは江戸時代で――」
会長の早口かつ冗長な話に、萌の耳は(精神的に)ただちに折りたたまれた。お前こそポイントを押さえて喋れや、と心の中で毒づく。
何も聞こえなくなったが、よそ見をすると懇々と説明する北条に失礼だ。萌は漫然と北条を見る。目鼻立ちは良い。身長も壁のようにそびえ立つ高さ。遠目で見たらイケメンだ。
だがもっさりとした長髪と、太い黒フレームの眼鏡が邪魔をしている。致命的なのはちょっとぽっちゃりしているのだ。外見を気にして磨けば、光る残念男子……
「おい。聞いているのか」
北条が萌の眼前で手を振る。
彼女の漂っていた目の焦点が合った。
「情報量が多すぎる。あたしの脳スペックでも分かるように簡易説明書を書いてよ」
萌は通学鞄から、文房具を取り出す。ノートを開き、ボールペンと一緒に長机の上に置いた。
「話が高度過ぎたか。仕方ない。早坂でも分かるように図解してやる」
怒りだすかと思いきや、北条は嬉々としてA4ノートにペンを走らせた。【コイツ、趣味を話せる相手が来て嬉しいんだろうな。可愛い所あるじゃん】と萌は思った。
「しかし、なぜ早坂は急に妖怪を見ることができるようになったんだ? 俺はお百度参りをしたり、何度も神に祈ったが無駄だった」
北条が妖怪を子細に描きながら、萌に訊ねる。彼女は先見堂の件を正直に話すか迷って、秘密とすることにした。
あの婆ちゃんはむかつくが、世話にはなっている。変なものが見えるなど悪い噂がたったら、さすがに気の毒だ。また、こんなレンズが複数あるはずはない。たまたまの一箱だ。
「……ダイエット! 過度だと健康に悪いから、適度なダイエット」
と、萌は声高に嘘をつく。
「そうか。高僧が断食するのは精神を高める為と思ったが、眼も澄んで見えるようになるのか。でも簡単すぎないか」
「それ、と、毎日の腕立て伏せを百回。加えて朝夕にランニング」
我ながら苦しい言い訳だ。
「腹が減るじゃないか。俺にとって食事は生き甲斐だというのに。でも、確かに立派な苦行だ。得心した」
北条は腕を組んで、ゆっくりと首を上下に振る。妖怪の絵と対処方法の書かれたノートを萌に手渡した。
俺はもう少し調べ物をするから早坂は帰れ、と部屋の扉を開く。「気をつけてな」と、萌の肩を叩いた。
妙な友人ができてしまったという後悔が萌に生まれたが、理解者を得た安心感もあった。彼女の帰り道の足取りは軽かった。
ふとノートを開き、北条の描いた妖怪を確認する。目撃したことは無い、という言葉が嘘なのではないかと思うほど、萌が見た生物にそっくりなイラストがそこにはあった。
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