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 サイレン。この場所がなくなるというのは本当かい。君はどこへ行くの。あてはあるの。泳ぐのはやめても、歌は続けるの?  ……そんなの、分からないか。君の海はここだけで、ついこの間まで泳いで生きてきたのに、急に陸地で歩く方法を訊かれても、な。  実は私も同じだ。この街を出て行くところがない。  言葉が必要とされている場所があればあっという間に駆けつけるのだけれど、どうやら完全に手遅れみたいだ。  表通りを少し歩いただけでも、そこかしこに言葉の抜け殻が落ちているのを見かけたよ。言葉が言葉になるのをやめてしまった。私には、皆が何を話しているのか、聞いても分からない。彼らは今までのものとは違う、別の手段で意思疎通を図っている。  それらも、時間が経てば言葉と呼ばれるようになるだろう。気の遠くなるぐらい、膨大な時間をかけて。そうやって言葉は変化してきた。  だから私は、ことばを諦めたくはないんだ。  変化の時間を待つ間に、いったいどれほどの人が傷つく? 争いが起きる? いきなり言葉を失う羽目になって、戸惑ったり困ったりする人も大勢いるはずだ。私は、そうした人たちの力になりたい。空っぽな言葉ばかりになって、さいごの一言が消えるそのときになっても、無駄だなんて思わずに。  サイレン。君には、一つだって何かを背負わせたくはないから。君の歌がいつまでも響くことを、祈っても良いかな。神様を信じていなくても、願っても良いかな。  バベルから、愛するサイレンへ。唯一無二の君のことばを、私と君との言葉でいつまでも護っていられますよう。  うん、大丈夫だよ。君は大丈夫。歌を知っている、君ならば。  あぁ。君は手だけでなくて、からだもひんやりと冷たいんだね。まるで海みたいだ。  海にも歌はあるよ。鯨の唄を、君もいつか聞くだろう。  そうだね。どこにでも歌はある。君の言う通りだ。  じゃあ、さようなら、サイレン。  また会えたなら、今度は私に、歌を教えてくれよ。
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