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 サイレン。君のうわさを街じゅうで聞いたよ。美しい容姿、美しい歌声、そのいずれも人々の関心を寄せ付けてやまないようだね。  けれどこの暗がりじゃあ君の顔は見えないし、歌もまだ聞かせてもらえていない。ああ、明かりはつけないで。このまま話そう。歌も、あの黒い服の連中から許可が出ないと駄目なんだろう。特別、をいくつか許されているとはいえ、抜け駆けはいけない。だから今回はこちらから話すことにしよう。眠る前の物語、夜伽は、君にだって必要だろう。  まず、名乗るところから始めなければね。  私はバベルと呼ばれている。  遠い異国の、塔の物語は知っている? そう、あのバベルだ。  え? っはは、違うよ、そこまで長生きできる人間はいないだろうから。物語から貰ったんだ、名前をね。言葉を扱っていながら、その恐ろしさを知っていながら、身の程知らずのことをしたから。軽蔑されている証さ。このあたりの話は、また今度だ。  また今度。あるよ。今日限りで来るのを止めたりはしないよ。……君が嫌でなければ、だけど。  ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいな。  名前というと、君のそれも仇名のようなものだろう。その歌声で人々を魅了するから。だからあまり引き寄せられすぎないようにと、戒めの意味を込めて皆は呼ぶ。  違うのかい。  理由は、声じゃない?  いや、まだ、本当の理由ってやつを訊くのはよそう。だってまだお互いのことをよく知らない。偏見を持ちたくないんだ。ゆっくり、君のことを知りたい。  君は私にとって、美しいと評判の声を持った、言葉を持たないサイレンだ。そして私は身の程知らずのバベル。まだ、それだけで良い。これだけが良いんだ。  でも―そう、不躾でなければ、ひとつ、質問をしても?  君が言葉を持たないのは、生まれつき? それとも誰かに、奪われた?  分からないのか。  いいや、良いんだ。どちらにせよ私がすることは同じだ。  私はね、サイレン。君に言葉を教えるためにここに来た。だけど一方的じゃあ面白くないだろう? 君の気持ちも確認したい。  君には、知る―知ってしまう、覚悟がある?
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