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囚われた天音
全校生徒から忘れ去られた旧校舎の一室にて、天根千明は目を覚ました。
辺りはガランとしていて冷え冷えとしている。
窓外には、気だるげな秋の陽気が昼下がりの運動場を柔らかに包み込んでいるのが見える。
身体を動かせないのは、椅子に紐で縛り付けられているためらしい。
千明はまどろむ頭をはてと傾げた。
切り揃えられた前髪がはらりと揺れる。
なぜ、こんなところにいるのだろう?
千明は、はっきりと困惑していた。
いったい私が何をしたというのだ。
何の因果があって、このような仕打ちを受けなければいけないのか。
何か恐ろしい事件に不条理に巻き込まれているのではないか。
窓から差し込む一条の光の中を、きらきらと埃が舞っている。
普通の女子高生であればこのような状況に直面した場合、冷静ではいられないだろう。身の危険を感じ、自分の意志とは関係なしに、生まれたての小鹿のように足が震えだし、歯の根が容易に嚙み合わず、カチカチと情けない音を立ててしまう・・・。
「ふっ」
千明は、不敵にも唇の端を持ち上げ笑ってみせた。
唇の間から漏れ出た空気が光の中の埃を押し、きらきらと輝く渦を作る。
ふいに、ガラガラと大きなを音を立ててドアが引かれた。
千明が目をやると、開いたドアの向こうに学生服姿の男が立っていた。
「やあ、天根さん。お目覚めかな?」
学生服の男は、整った顔に薄ら笑いを浮かべて、教室内に足を踏みいれる。
「安部君。これは一体どういうつもり?」
「安部君」と呼ばれた男は、千明の言葉を無視してドアを後ろ手で閉めると、鼻にかかる細い眼鏡を押さえながら、ゆっくりと窓辺へと歩みを進める。何から話そうか呻吟しているようだった。右腕には、色褪せた風紀委員の腕章が巻かれている。
「私にこんなことをして、ただじゃおかないわよ」
放った言葉とは裏腹に、千明の胸は、はち切れんばかりに膨らんでいた。
旧校舎、縛られた身体、現れた風紀委員・安部君。
なんだか面白いことが起こりそうな予感がむんむんと立ち込めている。
天根千明は、面白いことが三度の飯よりも好きであった。
窓辺に立ち、秋の陽気に包まれた運動場を眺めていた安部君だったが、意を決したように千明に向き直った。ポニーテールのように一つ括りに束ねられた髪が、日の光を跳ね返して、濡れた烏の羽のように艶々と輝いている。さすがは学園内で「風紀の貴公子」と謡われ、多くの女生徒を魅了しているだけのことはある。ちなみに彼の髪の長さは立派な校則違反であったが、その妖艶とも言える美しさがゆえに不問に付されていた。清々しい秋空を背負うようにして窓にもたれた安部君は、その魅惑的な切れ長の目で射抜くように千明を見た。
堂々たる声で、彼は言った。
「天根千明君。君が『秘密の最終定理事件』の犯人だということは、もう調べがついているんだ」
唾を飲み込んだ千明の喉がごくりと鳴る。
安部君の目元がふわりと緩む。
「すべて吐いて楽になれ」
雲が太陽を覆ったのか、ふいに陽光が弱まり、教室が水に浸かったように薄く翳った。
安部君は微笑を浮かべている。しかし、切り傷のように細くなった瞼の間には、油断ならぬ鋭い光を宿した瞳が輝いていた。
千明も負けるまいと、口角をとびっきり持ち上げ、白い歯を見せながら、宣言するように言い放った。
「面白いことになってきた!」
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