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「お前さんが羨ましい。そして妬ましい。じゃから、胸倉を反射的につかんでしもうた。申し訳ない」
大きな会社の社長だった人に頭を下げられて、思わず恐縮してしまう。
でも、まさかこんな人に羨ましがられるとは夢にも思わなかった。
老人の気持ちは、少しだけわかるような気がした。俺がこの爺さんと同じ立場だったら、やはりその立場を歓迎はしなかった。
もしかしたら、家を飛び出していた可能性すらある。
俺はお笑い芸人がやりたい。だから、世界の大勢が羨むような立場であっても、俺には魅力的に映ったりしない。
きっと、この爺さんも同じなのだろう。
「なあ、爺さんのネタ、見せてくれないか?」
「ああ、いいぞ」
爺さんはカバンから新品に近いノートとくたびれたノートを手渡してきた。
「新品に近い方は、最近、書いているやつじゃ。くたびれている方は、わしの作ったネタでも珠玉のネタを集めておる」
俺はノートを受け取り、新品に近いノートを開いた。
気が付けば、俺の口はあんぐりと開いていた。
……面白い。面白い。面白すぎるッ!
笑わなかったのは、文字だけだったからだ。これを舞台で、動きなどがついた状態で披露されたら、絶対に笑っていた。腹を抱えて笑っていた。抱腹絶倒間違いなしだ。
そんなネタが一本どころではなかった。面白さの強弱はあれど、全部が全部面白い。面白すぎる!
気が付けば、あっという間に全てを読み切っていた。
俺は鼻息荒く、くたびれたノートも開く。これ以上面白いネタなんてあるのだろうか。
果たして、面白かった。
しかも、さっきの新品に近いノートよりもはるかに面白いし、完成度も高い。いや、比較にならない。
くたびれたノートもあっという間に読み終えてしまった。
俺は二冊のノートを、丁重に扱いながら、爺さんに返した。これは宝物だ。少なくとも、全世界のお笑い芸人なら、そう思うだろう。
「……面白かった」
「……ありがとう」
本当に面白かった。心の底から面白いと思った。
だから、次の瞬間、俺は口走っていた。
「俺とコンビ組まないか?」
「……は?」
爺さんは目を丸くしていた。
「こんな面白いネタ、やらなきゃもったいない! しかもこのネタを書いた爺さんが舞台でやりたいっていうんなら、なおさらだ!」
「じゃが、もうわしは年だ」
「年齢がどうした! お笑い芸人に定年なんかない! お笑い芸人を始めるのはいつだっていいんだ! 小学生だって、お笑い芸人を名乗っている奴はいる! 年齢なんて、関係ない! やろう!」
その言葉で、俺は一瞬止まった。
……やろう?
違う、と思った。言葉のチョイスが違う。言葉のチョイスはお笑い芸人にとって重要だ。
だから、ここで間違えるわけにはいかない!
頭をフル回転させる。自分の経験から答えを絞り出す。
そして、俺はついに言葉を見つけた。
「やらしてくれ!」
「やらしてくれ?」
「俺がこのネタをやりたいんだ! こんな面白いネタをさらに面白くさせたい! そして、観客を爆笑の渦に巻き込んでやりたいって思ったんだ! だから、やらせて欲しい、このネタたちを!」
俺は土下座をした。それぐらいしなければ、俺の本気度は伝わらないと思ったからだ。
「お、おい、顔をあげろ」
爺さんが慌てて俺の顔を上げようとする。深夜の公園とはいえ、誰かに見られる可能性はある。
だが、俺はさらに深く頭を下げた。本気も本気。本気も本気だからだ。
「俺に、このネタをやらせてくれ……!」
俺の本気が伝われ、伝われ! と何度も心の中で念じる。
俺は絶対にこのネタをやりたい! このネタを自分のものにできれば、俺は、いいや、俺たちはお笑い界のトップを狙える!
「……わかった、やろう」
俺は顔を上げる。笑顔を見せようと思った。だが、俺はすぐにそれを引っ込めた。
目の前にいるお笑い芸人の表情が、真剣そのものだったから。
このお笑い芸人は本気だと、肌でわかる。肌がひりつく。熱い!
「爺さん、本気でトップ狙うぞ」
「トップを狙う?」
爺さんは、小さく笑っていた。
「面白い冗談じゃの。トップを狙うなど戯言を」
「戯言?」
「トップを狙うんじゃない。トップを奪うんじゃ」
その言葉に背筋がぞくぞくした。
「ああ、奪ってやろうぜ!」
かくして、年齢差が半世紀もあるコンビが誕生した。
このコンビがお笑い界を、いや、世間を席巻するのはまた別の話だ。
~fin~
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