そのお笑い芸人は、深夜の公園から始まった

2/3
前へ
/3ページ
次へ
わしは元々、お笑い芸人を志していた。 小さい頃から、誰かを笑わせるのが好きだった。わしの考えたネタで、わしの癖のある動きで、誰かが腹を抱えて笑ってくれるのが、何よりもうれしかった。 だから、わしがお笑い芸人を目指すのは当然のことじゃった。でも、それは許されなかった。お前さんは知らんようじゃから、言っておくと、わしはそこにある会社のトップを長らく勤めておった。 まあ、驚くのも無理はない。日本でも指折りの規模の会社じゃからの。 最も、わしが生み出した会社じゃない。わしの曽祖父が生み出し、成長させてきた。わしは成長したその会社を親族として、守ってきたに過ぎない。 正直、面白みはなかった。 人を楽しませることよりも、如何に自分たちの地位を守るのかが大切じゃったからな。他言できないようなことをやったのも、数えきれない程ある。 他の人は羨むじゃろ。生まれながらにして金持ち。生まれながらにして大きな会社のトップにつくことが既定路線。生きるに困らないだろうと。何でも自由にやることができるだろうと。 それは多くが事実じゃ。じゃから、羨望の眼差しも、嫉妬の眼差しも、憎悪の眼差しも、甘んじてこの身で受けた。 じゃが、全てではない。 わしに自由なんてものはなかった。小さい頃から帝王学を叩き込まれた。遊ぶ時間もない程に、徹底的に、頭の隅々まで叩き込まれた。 そんな時間のない中でも、わしはネタを考え、披露した。相手は道行く人、公園で遊ぶ子供、運転手、身の回りの世話をしてくれていた人などなど、誰でも彼でも披露した。 最初の内は、子供の戯れだと、咎められることはなかった。じゃが、年を重ねるにつれ、品位がないと咎められ、禁止された。 それでも、わしはネタを書き続け、友人に提供し続けた。わしの代わりに友人にネタを披露してもらってたんじゃ。 お前さん、お笑いの歴史は知っておるか。その歴史に名を刻むような芸人がおる。今ではお笑い界の大手事務所になっているが、そのトップだった男だ。最近、その座から降りたがの。 その男は、わしのネタを使い、世間の評価を得ていた。もちろん、奴の動きや間合い取り方など、本人の実力があってこその成功じゃがな。 じゃが、ネタを書いていたのは、わしじゃった。それを隠してもらっていた。あくまでもゴーストライターとして活動しておった。 そいつの成功を見る度に、わしの心は荒んで行った。ネタの提供をやめることはしなかったが、やはり自分で舞台に立ち、ネタを披露し、笑っている観客の姿を見たかった。 じゃあ、好きなことをやればいい。会社なんてやめてしまえばいい。そう思うじゃろ。 じゃが、そうはいかなかった。わしが会社をやめれば、現場が大混乱に陥ってしまう。下手な跡継ぎに任せてしまえば、会社なんてどうなるかわからない。そしてら、困るのは社員じゃ。下請け、その家族なども含めたら、数万人単位で困ってしまう。 倒産なんてことになれば、それだけの人間が職を失うことになる。 社員の生活とわしの夢。そんなもの天秤にかけられるようなものではない。 結局、わしが退任できたのは、もう老人と呼ばれても否定できないところまで年を取ってからじゃった。 わしの夢は終わった。 始まることなく終わったんじゃ……。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加