Precious Summer Memory Among Us

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 バスの小刻みな揺れに身を任せながら、見たことない街の景色を堪能していた。  自宅から約三時間。目的地まではもうすぐだ。  花火大会で久々に再会を果たした千影は小さい頃の面影を全く感じさせなかった。  長かった髪は短く切られ、陽気な表情は不貞腐れた表情に変わっていた。小さい頃は全くしていなかった化粧もするようになっていたのも大きかっただろう。  でも、花火を見ていた彼女の姿に面影を感じられたということは、心の深い部分は変わっていないという証拠だろう。  彼女がなぜ俺に気が付かなかったのか、それは川で溺れた時に記憶障害を引き起こし、エピソード記憶を失くしたからだったようだ。普通だったら、寂しい気持ちを抱いただろうが、俺としては喜びの方が大きかった。だって、あの時は意識不明で最悪の場合、死んでいたかもしれなかったのだ。  俺のことを忘れていたとしても、命があっただけで十分だった。  バスは目的地に到着し、支払いを終えると外へ出た。市営ではないこのバスは距離別に料金を支払わなければいけないようだ。  外へ出ると大きなビルが目の前に佇んでいた。一番上には十字のマークがつけられており、それが目的地に着いたことを証明していた。 「アキくん!」  建物を見つめていると不意に横から声が聞こえてきた。  その声に俺は思わず、目を見開いた。今まで夏に散々聞き続けた声。千影のことは分からなかったが、彼女のことだけは声を聞いただけですぐに分かった。 「千聖!」  横に顔を向けると車椅子に乗った女性の姿が見える。彼女は俺を見つめながら涙を流していた。黒の長い髪を垂らし、紺碧の瞳が太陽に照らされて反射する。涙ながらにして微笑むカノジョの笑顔は数年前とちっとも変わっていない。  千聖の後ろには昨日見たばかりの千影の姿があった。どうやら、彼女がここまで連れてきてくれたみたいだ。  川で溺れたのは千影だけではない。千影を助けようとして一緒に流された千聖もまた記憶障害を患い、手続き記憶を失って生活に支障をきたしてしまった。それ故に、病院から一歩も出ることができなかったらしい。  俺の記憶を失くしたものの自由に動くことができる千影。俺の記憶を失くしていないものの自由を失ってしまった千聖。互いにすれ違う事が多々あったらしい。  千聖はずっと俺のことを呼び続けていた。でも、千影はそれを理解できなかった。彼女たちの両親は俺がトリガルーティン症候群にかかっていることを聞かされていたらしく、これ以上の心配はかけさせられないと連絡をしなかったらしい。  仕方がない。きっとすぐに聞かせられていたら、耐えられなかっただろう。数年間ゆっくりと傷が癒えたからこそ受け入れられたのだ。  ただ、俺がもう少し強ければ、状況は変わっていたのかもしれないと反省した。これからはもっと強くなろうと心に誓った。  俺は走って千聖の姿を見ると、ダッシュで彼女のところへと駆けていった。   「久しぶり」  偽物ではなく、本物の千聖が目の前にいる。俺は中腰になり、彼女の存在を確かめるように手をギュッと握りしめた。空を切ることはなく、手はちゃんと握りしめられる。それどころか向こうからも手をギュッとしてくれた。 「うん、久しぶり。アキくん」  この日、三人の失ってしまった大切な夏の思い出を取り戻すことができた。
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