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落ちないようにと、彼の身体にしっかり捕まりながら私たちは駅の方へと進んでいく。
彼からの提案を承諾してから私の心は終始穏やかではなかった。見ず知らずの男性におんぶしてもらうことに羞恥心を感じてしまっていた。下心とか抱かれていないかなとか、重いと思われていないかなとか、不安が頭を駆け回る。
仕方がないじゃないか。できれば断りたかった。でも、自分の力では駅に向かうことはできないし、道路の熱が覚めるのを待っていたらいつ帰れるか分からない。だから目の前にいる彼に頼るしかなかった。
浴衣で来なければ良かったなんて一ミリたりとも思わないけど、せめてサンダルはもう少し頑丈なものを買っておいた方が良かったと後悔した。
時間の流れは全てを解決する。しばらく彼の背中で休んでいると心が落ち着いてきた。
そういえば、この光景には何だか既視感があった。前にもこんなことがあったっけ。いつだったろう。夏の思い出だからきっと思い出せない。
でも、何だか彼の背中にくっついていると心が暖かくなった。
無意識のうちに顔を彼の肩に乗っけてしまっていた。私の肩に勝手に手を乗せたのだからこれでおあいこだ。
彼の汗の匂いは悪い匂いではなかった。きっと良い柔軟剤を使っているからだろう。
そういえば、なぜ彼は私の肩に手を乗せたのだろう。あの時の彼の表情は何か言いたげだった。最終的に言った言葉はバレバレの嘘。バランスを崩したために乗っけたにしては優し過ぎる。だからこそ、なんて言いたかったのかすごく気になった。
彼の足取りはゆっくりとしていて乗り心地が良かった。
男性特有の筋肉質で硬い背中。心に浸透するほどの暖かい体温。私に手を添えた時の表情。それらの点が結びつけられ、徐々に線になっていった。
記憶が疼く。
思い出した。初めて浴衣を着た時、確か小学五年生だったか。その時も同じように誰かにおんぶしてもらったんだ。履き慣れない下駄を履いて足を痛めたんだっけ。
「アキくん?」
気づけば私は彼の耳元でそう囁いていた。
彼は私の言葉で不意に立ち止まる。彼の身体から伝わる心臓の音は早くなっていた。そこから彼が動揺しているのがわかる。
そして、それは私も同じ。彼の名前を読んだ瞬間にカチッと音を立てて、保管庫の鍵が解錠されたのだ。
「何で俺の名前を知ってるの?」
彼は緊張したように震えた声で私に問いかける。
私は彼の心臓音に耳を傾けながら、ゆっくりと保管庫の扉を開けた。
「ずっと探してた」
頬を伝う雫が汗なのか、涙なのか私には分からなかった。
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