再会

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再会

1.  あ、金木犀の香り…  朝晩が急に涼しくなったと思ったら、風にのって流れてきたのは大好きな甘い香りだった。 辺りを見回すと、少し先にある家の垣根の向こうに橙色の花の咲く木が見える。 引き寄せられるように歩いて、小さな花の輪郭がはっきり見えるところまで近づいたら、香りは一段と濃くなった。 深く息を吐いて、胸いっぱいに吸い込む。 「…いい香り…」 母が好きだった花。毎年この時期になると、一緒に近所の公園に散歩に行って堪能した香りだった。    秋野(あきの)という名前の通り秋生まれの私に、母はよく語った。 「世の中には不条理がたくさんあるけれど、本当に好きなものがひとつでもあったら大丈夫よ。それを糧に生きていけるから」 たったひとつ、好きなものがあれば生きていけると言った母。 母が好きだったのは、籍を入れる前に亡くなった父だったのか、金木犀だったのか…  秋風が吹いて、小さな花が音もなく落ちる。 足元には先に散った花がいくつも散らばっていた。 呆気ない。 どんなにいい香りでも、美しい色でも、散ってしまえば朽ち果てるだけだ。 人間だって。 努力をしても必ず報われるとは限らない。 「…帰ろ」 甘く胸に溜まった香りを吐き出すようにため息をついて、アパートへの道をまた歩いた。
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