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17.
「恩返し?」
思わずそう突っ込んだら、秋野はまた笑った。
あぁ、この笑顔。
ずっと見ていたくなる。
「そうそう」
「へぇ。何してくれんの?」
これはチャンスだ。
でもガツガツしたら駄目だ、と自分に言い聞かせる。
せっかく笑ってくれるようになったのだから。
今日はもうこれでいいはずだ。
でも、俺はけっこう欲深い。
「う~ん…」
食べ物の恩だから、やっぱり食べ物で…なんて。
ぶつぶつ言ってる秋野を見てたら、勝手に言葉が滑り出た。
「秋野。手、貸して」
「ん?」
あー…
俺、秋野の「ん?」も、けっこう好きだな…
そんなことを考えながら、差し出された右手を。
掴んで、引く。
「う、ゎっ…」
軽い体だった。
身長があっても、やっぱり男とは違う。
何ていうか、線が細くて軽やかで。
ふわっとしてる。
飛び込んできた秋野を右腕で抱きとめて、ぎゅう、と抱きしめた。
「………」
「………」
押し退けられて、引っ叩かれても文句は言えないと思ったのに。
秋野は抵抗しなかった。
文句も言わないから。
それをいいことに俺は、目を閉じて。
ゆっくり10数えて、腕の力を抜いた。
掴んだままの右手も、離した。
そしたら。
秋野がすうっと離れた。
顔、怒ってないな…
「………」
「冬馬…」
「ん…」
「これでいいの?」
「…うん、いい」
「そう…」
言ったきり。
秋野も俺も黙った。
もう話すこともないし、時間も遅いし。
帰ろうと思うのに、足が動かない。
俺、うざいなー…
って、思うけど。
だって楽しかった。
次に会えるのは日曜日なんて、何か酷くない?
………俺は女子か。
しかもこれは、俺が敬遠するタイプの女子の思考だ。
気を引き締めろ、俺。
帰るって、言え。
「えーと、じゃぁ…帰るわ」
よし、言った。
「え、帰るの?」
…何で意外そうな顔すんの。
「…帰る、よ」
ほら。もうブレてきてるし。
やめろ秋野…
寂しそうな子犬モードはずるい。
早く出ないと、何か、いろいろまずい。
変な焦りが出てきて、頭をぶんぶん振った。
「帰る帰る。じゃあまた」
「あ、うん。日曜日?」
「そう。あとで連絡するから」
「わかった」
逃げるように背中を向けて、玄関ドアまで一直線に歩いて。
「バイバイ」
「うん、気をつけて」
「んー」
外に出た。
ちょっと思いついて、ドアの前で立ったまま耳を澄ましてみる。
カチャ、という小さな音がしたのは、16秒後だった。
ほっとして小さく吐いた白い息が、僅かの間に消えていく。
冷たい空気の中を、駅に向かって歩き出した。
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