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5.
消毒液を染み込ませたコットン。
ピンセットとかあるわけもなく、よく洗った手で持って押し当てた。
「ッ…」
秋野の眉間にシワが寄る。
「少し、我慢して」
「………」
切れて出血した跡が痛々しい、唇の端。
コットンには、薄っすら赤い染みが付いた。
気まずくてまた目が合わせられなくなっている秋野の顔を、ここぞとばかりに見つめる。
伏せた目を縁取る長いまつ毛。
すっと通った細い鼻。
俺を惹きつける唇。
の、端が切れて腫れていて。
左の頬を中心に、目の脇から顎の少し上くらいまでを覆う赤紫色の痣。
明らかに殴られた跡、だった。
信じられない。
この顔を殴った奴がいるなんて。
どんなシチュエーションで?
秋野が、何をしたっていうんだ?
女の子だぞ…
腸が煮えくり返るっていうのは、きっとこういう気分なんだろう。
秋野が買ってきたレジ袋から、消毒液とコットンに続いて絆創膏の箱を取リ出す。
一枚をペリペリと剥がしながら、思った。
何か…逆じゃね?
男女が。
よくドラマとかであるのって、喧嘩した男子の怪我を女子が手当する、みたいなやつじゃないの。
てっきり風邪ひきグッズを買ってきたんだと思っていた袋の中身は、湿布とサージカルテープ、水で、俺の買ってきたものとは何もかぶってなかった。
男前が過ぎるよ。
ほんと、予想外。
絆創膏をそっと、傷を隠すように貼り付けて。
「…これでいい?」
と訊いてみる。
これ以上は何もしようがない。
「うん…、ありがと」
痛くて喋りにくいらしく、秋野の口調は嘘みたいに弱い。
いつもの真っすぐで元気な声が、今は出ない。
「…あとこれ、あてときな」
「うん…」
手渡したのは、保冷剤をハンカチで巻いたもの。
琉さんがご丁寧にケーキボックスに入れてくれたやつ。
俺が買ってきたアイスノンは、冷やしてからでないと使えなくて、今はまだ冷凍庫の中に入ってる。
秋野は、受け取ったそれをそっと口元にあてた。
腫れはだいぶ引いてるけど、まだ完全じゃない。
「………」
「………」
何を言えばいいのか、全然わからなかった。
わかっているのは、風邪気味なんだろうなんて安易に考えていたのが、とんでもなく見当違いだったってことだ。
挙げ句、見せろと迫ったくせに、これ以上は何も出来やしない。
不甲斐なくて嫌になる…
あ、1個だけあった。
「…ケーキ、食べる?」
床に置きっぱなしのケーキボックスを指差すと。
少しだけ秋野の顔が明るくなった。
「…食べる」
ガトーショコラと、チーズケーキ。
どっちも2個ずつ持ってきた。
琉さんのお手製で、カフェの人気のスイーツ。
食欲がないわけじゃなさそうな秋野の前で箱を開けたら、
「わぁ…」
と嬉しそうな声をあげた。
「美味しそ…」
「だろ?」
ケーキ、持ってきてほんとに良かった。
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