同居人

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本当にもう、と、芳子は、呟きながら、鬱陶しそうな顔をした。 「京介さん、なんで、あんなに声が大きいんでしょうねぇ。お体が大きいと、声も大きくなるの?吉田?」 芳子は、門扉(もんぴ)を閉じようとしていた使用人──、吉田、こと、岩崎男爵家の筆頭執事に尋ねた。 折り目正しい洋装姿で、手にポットを持つ吉田は、 「左様ですねぇ」 と、曖昧な返事をする。 確かに、岩崎の声だけが、皆がいる部屋に響き渡っている。 正しくは、部屋には、岩崎兄弟だけがおり、芳子、月子、そして、お咲は、続くテラスで、吉田の世話になりながら、お茶を嗜んでいた。 先ほどの玄関前での顛末を、岩崎は、兄、岩崎男爵へ、吠えるに近い状態で、くどくど語っている。 「もう、気にしなくていいわよ。二人が顔を合わすと、いつも、こうだから。月子さん、頂きましょう?」 ああ、秋だから、薔薇が、少ししか咲いてなくて、ごめんなさい。などと、月子へ言いつつ、テラスの向こうに広がる薔薇園と言って良い、手入れの行き届いた庭へ芳子は目をやった。 白い丸テーブルに、白い椅子。見たこともない、モダンな花柄が描かれたカップに、またまた、見たこともがない、焼き菓子が皿一杯に盛られている。 そのカップへ吉田が、ポットから、おそらく、紅茶らしきものを注ぎ入れ、続けて、取り皿に、焼き菓子をよそってくれた。 あの玲子とかいう女学生と、皆で、おかしな会話をした後、それではと、月子親子は、岩崎男爵邸に邪魔をしている。 白い外装、左右対称の2階建ての屋敷は、これが、洋館というものなのかと納得してしまう重圧感があった。 岩崎に抱き抱えられたまま、月子は、両開きの玄関ドアを潜り、屋敷の中へ入ったが、そこは、月子の知らない世界だった。 天井から、光り輝く、硝子の塊、どうやら、シャンデリアと言うものらしい……が、吊り下がる、十畳は下らないだろう空間が迎えてくれた。 そして、そこには、そこかしこに、絵付けされた西洋風の壺、彫刻、絵画、動物の角の様な物まで飾られていた。 男爵夫婦に岩崎は、ずんずん進み、その後ろを、お咲が、キョロキョロしながら着いて来る。 むろん、キョロキョロしているのは、月子も同様で、いくつか並ぶドアを通り過ぎ、今いる部屋へ到着したのだった。 どうやら、この部屋は、芳子の趣味で設えられた客間のようで、淡い桜色の壁、赤い絨毯、白い石造りのマントルピースというのだろう、物が、デンと備わり、存在感を出している。 西洋式の部屋など、初めての月子は、どこかで伝え聞いた事がある言葉を必死に思い出しながら、あれがそうなのか、などと思いつつ、変わらず、キョロキョロしていた。 「まあ、本当に、疲れたわ。このお部屋が、落ち着くわね」 芳子は、言って、紅色の別珍(ビロード)のような重工なカーテンを両脇に束ねた、両開きの硝子扉へ向かって行く。 「京介さん、月子さんをテラスへ御案内して?」 とたんに、控えていた吉田が、硝子扉を開いて、テラスへ誘った。 吉田は、そのまま、お茶の用意をして、月子はもてなされ……今に至る訳だが、部屋では、男爵と岩崎が言った言わないと、言い争っている。 「もう、京介さん、月子しかいないって、言ったのに、往生際が悪いこと、ねぇ、吉田?」 「左様でございますねぇ」 初老の品の良い執事は、そつなく答えている。 「ち、ちょっと、義姉上(あねうえ)!あれは、一ノ瀬君を追い払うための事で、お二人も、そうだったでしょうがっ!」 岩崎が、振り返り、今度は芳子へ、食ってかかった。 「でも、京介さん、聞きましたけど?ねえ?京一さん?」 カップのお茶を堪能しながら、芳子が言い、それに、男爵も、うんうんと、頷いている。 「ですからっ!」 岩崎は、叫ぶが、固まりきっている月子に気が付き、 「御母上は、別館にお泊まり頂いている。安心しなさい」 と、慌てて言った。 「別館?!」 西条の屋敷も、かれこれ広かったが、離れがあった止まりだ。 「ああ、この洋館の後ろに、もう一軒、屋敷がある。そちらは、和風建築だから、お母様も落ち着かれると思う」 岩崎の言葉からすると、同じ敷地に屋敷が二軒あるということか。 やはり、男爵家ともなると、月子の想像を越えていた。 「ああ、この洋館は、来客用で、普段は、裏の屋敷を使っていてね。うーん、二人は、こちらに落ち着くのがいいのかなぁ?」 男爵が、芳子を伺う。 「わ、私は!自分の家へ戻りますっ!」 「京介さん、それじゃ、月子さんが、一人になるわ。お母様は、近々転院される訳だし」 「おお!吉田!病院の手配だ!来なさい!」 男爵が、取ってつけたように言い、部屋から吉田を連れて逃げ出した。 「という事は、うーん?月子さんも、神田のお家に戻るのが良いのかしらね?それだと、京介さんのお世話をしてもらえるしね」 ニンマリ笑う芳子がいる。 「夫婦で、はめやがって……」 苦々しげに、岩崎が言うが、月子は、世話という芳子の言い分に食いついた。 そうなのだ、この洋館、男爵では、とても女中として雇ってもらい働く自信がない。しかし、岩崎のあの家なら、十分働ける。 母の入院代も返さなくてならない。気が急いた月子は、 「お願いします!あちらの家で、お世話させてください!」 と、岩崎へ叫んでいた。 「だって。京介さん、決まりね」 芳子にも、ごり押しされ、岩崎は、言葉につまりつつ、 「世話などしなくてよろしい。君は、挫いた足を治せばいい」 渋々と言うべきか、行き掛かり上と言うべきか、月子の、同居、を認めたのだった。
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