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「そう言うことで、話を聞いてほしくて会いに来た」
「〆切前なのに……まったく」
翌日の昼前。私は近所に住む千尋の家にお邪魔していた。例のイラストレーターになった友人だ。
「いいよ、昼までね」
彼女はまだ有名というほどではないけれど、ちゃんと仕事になるほどには絵を描き続けているという。偉いなあ、と私は心の中で思った。
「それで? 卒業文集が見たいんだっけ?」
「そう! 私のページが見たい」
「なんで破るのよ、そんな大事なもの」
千尋の部屋は私の部屋と同じくらいの広さがあったけれど、片付いていた。デジタルのイラストを中心に描くだけに、わずかな画材と画集があるぐらいで、部屋の中はがらんとしている。
「ほら、卒業文集」
画集と同じ棚から卒業文集を出した千尋は、私に渡すと「勝手に読んで」とパソコンに向かいながら作業をはじめてしまった。気の知れた仲と言え、なんとも勝手な友人だなあ、でも相変わらずだ、なんて思いながら私は文集を開いた。ちょうど東海林くんのページでドキリとしたが、今はまず自分のページ、とめくっていく。
「あった……」
そこは黒歴史の大きな渦だった。読んでいくそばから読者すべてに羞恥の感情を沸き立たせるような文章。むしろよくこんなものが書けたものだと、一周回って称賛したいような……なぜ中学生でこんな恥ずかしいことが書けるのか。いや、中学生だからこそこんなことが書けるのか。私はそっと文集を閉じて「千尋、泣いて良い?」と尋ねた。
「泣くな泣くな」
千尋は苦笑しながら振り返る。
「それで? 東海林くんだっけ?」
「そ、そうそう」
私は再び文集を開くと、東海林くんのページを千尋に見せた。
「この文章、どう読んでも〈ずっとみゆきが好きでした〉だよね?」
「そうだね。で?」
私は千尋の肩をつかんで揺さぶった。
「両想いだったぁ!」
「両想い?」
私は密かに東海林くんに好意を抱いていた。付き合いたいとか、そう言う気持ちがあったかまでは分からないけれど、でも両想いなら高校生で付き合ったのに!
私がそう言うと、千尋はクスクス笑った。
「なによー」
「みゆき。両想いだったのは東海林くんであって、あんたじゃないんだよ」
私は首を傾げた。
「だって、みゆきが好きって」
「しかたないなあ」
千尋はわざとらしく立ち上がると、卒業アルバムを開いた。最初の方にある、教師陣のページだ。
「私たちのマンガ研究部、顧問はだぁれだ?」
「だれって、高木先生」
「高木先生の、下の名前は?」
「高木み、みゆき……」
私は卒業アルバムの高木先生を穴が開くほど見つめた。
高木先生は私たちが中学一年生のときに新任で美術教師として赴任した先生で、とても若く天然なところのあるかわいらしい先生だった。
「もしかして、東海林くん……?」
「みゆきはみゆきでも、高木みゆきと両想いでした」
「両想いだったの?」
私がおどろいていると、千尋はデスクから一枚のハガキを取り出した。
「実は私、高木先生の卒業した美大に行きたくて、卒業以降も連絡とってたんだよね」
そう言って私にハガキを見せた。ハガキには変わらない高木先生と大人になった東海林くんが紋付き袴と白無垢の姿で写っていた。日付は一昨年。
「え? 一昨年にはもう結婚してたの?」
「東海林くんが大学卒業するのを待ってたらしいよ」
「なんで教えてくれなかったの?」
「だって聞かなかったから」
私はハガキをジッと見つめた。三十を超えたはずの高木先生は今でもきれいだ。それに比べて、大学勤務の私は化粧っ気もなく、白衣を着るからと私服も適当。そりゃ彼の横には立てないだろう。
「でも! このオチはひどいって!」
私はハガキを千尋に押し返すと、手土産に持ってきた缶ビールを勝手にひとり開けて飲み始めた。生ぬるい泡がのどを通る。その苦さたるや、黒歴史の如く。
今日のこともまた、黒歴史の一ページとなるのだろうか、と思うと、ビールを流し込む勢いはなかなかおさまらなかった。
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