So Good

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竹内は薬局のスタッフに詰め寄っていた。 「いや、今何年かわかりますか? もう二八〇〇年ですよ」 「ですね」 「いや、ですねじゃなくて」 「はい?」 「いや、はいでもないのよ。これだけの年月を重ねてまだできないわけ? 狼人間を人に戻す薬は!」  狼人間っていうのが、伝説の存在から、実際に人の体に稀に起きる現象だと判明したのは二〇二四年だ。あれからもう八百年も経っているのに、未だに特効薬ができていないってのは、さすがに研究者らの怠慢だと俺は思うんだな。今までに何人の狼人間たちが差別に苦しみ、人を襲うことに苦しみ、時には殺され、時には捕まり、あいつらに実験され、解剖され、骨の髄まで調べられたと思っているんだ。 「いや、満月の夜に部屋に籠っていればいいんでしょ、じゃないのよ」 「言ってないですよ」 「満月になるとね、俺たち狼人間ってのは、外に出たくてしょうがなくなるんだ。血が騒ぐとでもいうのかな。我慢しようとしても、まるで自分の中の狼が暴れ回っているような、抑えきれない衝動が出てくるんだ。そして外に出てしまって、狼人間になって、人と遭遇して……加害者だ」 「そうなんですね」 「いや、そうなんですねじゃなくて、ただ悲劇を聞いてもらいたいわけでもなくて、だからこそ薬を――」  薬局スタッフが痺れを切らし、隕石衝突かのごとく激しく机を叩いた。 「薬はまだ開発されていないんです!」 「いや、はい、すみません」 「……ただ、あなたの力になりそうな人物なら紹介できます」  その場を脱するための嘘をついただけかもしれない。竹内は不意に訪れた有益な情報に警戒しつつも、これまでに襲ってしまった、本当にたまたま自分に遭遇してしまっただけの人々の顔を思い出し、解決策の可能性があるのなら、と教えられた電話番号にかけてみることにした。  彼の名は月島宗。  電話の向こうから既に、彼の胡散臭さは伝わってきた。 「迷える子羊かい?」 「いや、狼です、迷ってはいますけど」 「so good私の名を知ったのもこれまた何かの縁、私の研究所においでなさい」  俺が月島邸に到着するや否や、月島宗が飛び出てきて、俺の腕を掴んだ。 「うわっ!」 「いい体、いい顔、反して可哀想なうさぎのような表情、so goodね」 「いや、狼――」 「さぁ入りなさい、話は聞いているわ」 「えぇ、薬を――」 「狼人間になりたくないわけでしょ」  微妙に成り立たない会話。下手したら狼人間よりも個性が強い月島宗の勢いに押されながら、俺は家の中に入り、階段を降り、部屋に入り、また階段を降りて、暗い部屋へと入った。  俺はすぐに後悔した。 「いやだから、暗い部屋で月夜をやり過ごすのは違うんですよ」 「わかってるわよ」 「いや、わかってないでしょ。こんなところに連れてきて」 「心配しなさんな。私はこう見えて何人もの狼人間を悩みから救ってきたのよ」 「いや、ならもっと説明があるでしょうよ。この薬を使います、とか、これから何々をしますとか」 「説明したらso goodが薄れるのがわからないの?」 「はい?」 「so goodは不意なるもの。というか、少しは考えてみなさいよ。薬だけが大事? いいえ、今は二八〇〇年よ」  俺が困惑している間に、月島は中秋月のような輝く笑みを浮かべ、月の裏側に吸い込まれるように暗闇へと消えた。俺が恐怖に駆られて追いかける間もなく、部屋にガスが充満、俺は眠ってしまった。  目を覚ますと最初に感じたのは、体の軽さ。それから、灰色の地面、舞う砂塵。 「お早う、竹ノ内君」  月島の陽気な声が耳元で聞こえた。 「いや、竹内――」 「今日は日本では満月らしいよ」 「えっ」  俺が慌てて空を見上げると、そこには巨大な青い月が、まるで俺を覗き込むように地平線から半身を乗り出していた。 「えぇ?」  いや、月ではない!  「so good!!」  月島が高らかに叫んだ。 「so goodは不意なるもの。私は宇宙開発に携わっていく中で気づいてしまったんだよね。狼人間は満月を見て狼になってしまうのならば、月に行ってしまえばどうだろう。行ってしまったら、御覧の通り、君は狼ではなく、れっきとした竹ノ内竹内として、その場に立っている。月にいる限り、月は満月ではないし、球体でもないからね」  月島は深く息を吸い、より高らかな感嘆の遠吠えを発した。 「So good!!」 「いや……」  俺は絶望した。結局俺たち狼人間は、地球から追い出されたっていうわけだ。
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