愛すべき我が子へ

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「はぁ?!君が僕の娘?!」  予想外の言葉に、僕の方が大声を出してしまった。慌てて口を押さえたが、驚きのあまり意味が分からなくなる。 「じょ、冗談はよしてくれ──!僕に娘なんかいないし、そもそも僕はずっと独身だ……何かの勘違いだろ」 「早見 里恵(りえ)。──って言えば、少しは信じてくれますか」 「早見……里恵……あっ」  その苗字、その名前が、一気に記憶を呼び起こした。  二十年も前の、遠い遠い記憶。僕がまだ生きる希望を持っていた、あの頃の記憶だ。    *  里恵は、僕が生涯で愛した唯一の女性だった。  両親が経営する会社に半ば強引に入社させられ、毎日無気力で働く中に差した、一筋の光。結婚を約束し、将来を誓った、僕にはもったいないくらい素敵な女性だった。彼女を見つける為に、僕の人生があった。そう思えるだけで、無気力だった僕は生き甲斐で満たされた。  そして──里恵はやがて子供を授かった。  待望だった、二人の子供。妊娠の知らせを聞いた時は、天にも昇るほど嬉しかったことを今でも覚えている。  まだ見ぬ喜びや生きる希望を、これからどんどん発見できる。里恵と、生まれてくる子供の為なら、どんなことだって頑張れる。心の底からそう思った。  しかし──その道を(はば)んだのは、またしても両親だった。「庶民と結婚なんかさせられるか!」と激怒され、籍を入れる前に婚約は破談。当然、僕は父親になどなれるはずもなく……無理やり引き剥がされる形で別れることになった。  それから僕の無気力はさらに加速する。  両親が気を利かせたのか僕を役員に昇格させたが、大した仕事ができるはずもなく周囲からは孤立。御曹司という理由でクビにはならなかったものの……結局その数年後、両親が亡くなったタイミングで自分も会社から去った。  ようやく見つけた生きる希望を、目の前で失ってからもう二十年。このまま終わるのかと思っていた人生に、またしても一筋の光が差し始める。 「私、美里(みさと)って言います。お母さんの里恵から一文字貰って、この名前になりました」  里恵のことを"お母さん"と呼ぶその子は、背負っているリュックから免許証を取り出した。  そこにははっきりと"早見 美里"と書かれている。生年月日を見ると、今からちょうど二十年前。里恵が妊娠していた時期とぴったり重なる。 「じゃあ──。本当に君は、里恵と僕の──」 「はい。お母さんと真悟さんの、娘です」  にわかには信じがたい。だけど、僕しか知らない里恵との事実を、この子は(いく)つも知っている。久しぶりに目にした、里恵の苗字。最初は疑っていたが……その疑心感はみるみる内に溶けていく。  ()りし日の、懐かしくて充実していた思い出が雪崩(なだれ)のように(よみがえ)ってきた。 「ありがとう、会いに来てくれて……今まで、本当にごめん」 「えぇ!そんな(うつむ)かないでよ、私こそごめん……そんなつもりはなかったの、お父さん」 「まだ、お父さんとは呼ばないでくれ……僕にはまだ、その資格が無い」  彼女は僕の手を握ろうとしたけど、それもまだ早いと思って遠慮した。  そうは言っても──こんな奇跡があるだろうか。かつて愛した女性との子供が、目の前にいる。こんなに大きくなるまで僕は何もしてやれず……本当に、父親と名乗れる資格など無い。  だけど……それでも僕に会いに来てくれた。素直に嬉しかった。 「おと……真悟さん。実は今日は、大事な話があって会いに来たの」 「大事な話?」 「うん。外だとちょっと話しにくくて……別の場所に行けないかな」  彼女が急に真剣な表情に変わった。  少し冷静になって我に返る。たしかに、ここは道のど真ん中だ。夏川君の喫茶店でも良いかもしれないが──日が沈めば閉まってしまう。目の前には自宅。娘なんだから……少し思い切ってもいいだろう。 「そうだな──それならウチに入りなさい」 「えっいいの?」 「親子が一緒の家にいるのは別に普通だろう」 「じゃあ……お言葉に甘えて」  ペコっと頭を下げる栗色のロングヘアー。その健気(けなげ)さを微笑(ほほえ)ましく思いつつ、一人で住むには広すぎる自宅へ案内した。
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