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「はぁ……はぁ……夏川君!」
「──あれ?川越さんじゃないですか!どうしたんですか、そんなに息切らして」
夏川君のいる喫茶店。ここまで無我夢中で駆け抜けた。アラフィフという年齢に不釣り合いな運動量を自分に与えてしまい、少し後悔する。
「最近あまり来てくれなかったんで気になってたんですよ〜。今日は僕イチオシの豆が入ってますよ」
「夏川君……今日は、その……」
もちろん息切れもあるが……急に緊張してしまって、次の言葉に詰まってしまう。これまであんなに楽しく会話してきたのに──。
目の前にいる、夢を追う若き青年。
彼が本当に、僕の……僕の……。
「あ!そういえば僕ね、先月ここの店長になったんですよ!」
「え?店長?」
「いやぁ、僕はそんなつもり全然なかったんですけど……先代のマスターが僕を推薦してくれて。せっかくの機会だし、バリスタの勉強しながら喫茶店も頑張ろうかなって思って。亡くなった母が、ずっと自分のお店を持つことが夢だったんです」
あぁ──間違いない。
里恵の志を受け継いでいたのは、この青年だったんだ。年齢も今年で二十二歳。ずっと近くにいたのに、何で今まで気付かなかったのだろう。
「まぁ……母は洋食が専門だったんですが、僕は洋食よりもコーヒーの方が好きなもので」
ふふっと笑いながら、カウンターで豆を選別する我が息子。
よく考えてみれば──思い当たる節はあった。倍以上も歳が離れているのに、何故か会話の波長が合っていたこと。長年、心地良さであり違和感でもあった疑問の答えが、ようやく見つかった瞬間だった。
「夏川君──君は、下の名前は何て言うんだ?」
「あれ、言ってませんでしたっけ?恵悟です。恵みに悟ると書いて恵悟。良い名前でしょ?」
ニコッと微笑む笑顔に少しドキッとする。
里恵の"恵"と、真悟の"悟"。里恵は自分の息子に、僕の名前の文字も残してくれた。それだけで胸がいっぱいになった。
「そういえば川越さんの名前にも"悟"が付いてますよね!同じ漢字が入ってるなんて奇遇ですよね〜」
そんなことを言いながら、恵悟は慣れた手付きでこちらにコーヒーカップを渡す。「良かったらどうぞ。僕のとっておきです」と言うセリフと共に、淹れたてのコーヒーの香りが僕のところまで届いた。
カウンターの席に座り、恵悟のとっておきを口に運ぶ。爽やかな酸味と苦味、鼻を抜けていく芳醇な香りがとても心地良い。思わず「美味しい」と呟くと──恵悟は、この世の幸せを全て詰め込んだような笑顔をこちらに見せてくれた。
「川越さんが常連で良かったです。僕、もっと頑張ります」
今さら自分が父親ですとは言わない。言えない。
だけど──愛すべき存在は、実はこんなにも近くにあった。そう思うと、かけがえのない嬉しい気持ちで心が満たされていった。
恵悟の未来を応援する。
それが、僕の発見した
"生きる希望"だ。
-完-
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