愛すべき我が子へ

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 僕の人生、これで良かったのかと毎日絶望する。  客観的に僕を見た第三者は、きっと"独身貴族"と呼ぶだろう。資産家の一人息子として生まれ、アラフィフになるこの歳まで独り身。親の莫大な遺産や豪邸を、頼んでもいないのに全て相続され、広すぎる部屋と不釣り合いな金満家具が目の前に広がっている。  仕事もとっくの昔に辞めた。親の経営する会社で役員をしていたのも過去の話。これからの余生、生きる希望や夢も無く、惰性でゆるゆると流れていく。燃料が無くなったらそれで終わり。推進力を失った僕の人生を、僕自身が舵を取ることを諦めていた。  一生遊んで暮らせるお金を持て余した、哀れで情けないおじさん。鏡に映る自分の顔にそう吐き捨てても、日常が劇的に変わるはずもない。  ふうっと一つ溜め息をついて──今日も喧騒(けんそう)に満ちた街に繰り出した。    * 「川越さ〜んまた来たんですか?今週もう何回目ですか」 「いいのいいの。夏川君、僕はね、お金だけは持ってるから」 「それ何百回も聞きましたよ──。まぁ、儲かるんでウチ的には助かりますけど」  結局また、ここに来てしまう。  何年も通っている馴染みの喫茶店。ここで過ごす時間だけが、唯一の癒しであり救いだった。話し相手は決まって、カウンターの向こう側にいる夏川君。バリスタを目指している若き青年だ。まだ二十歳そこそこなのに、大した(こころざし)である。 「君みたいな青年を見てると、応援したくなるんだ。僕には無かった人生だ」 「何言ってんですか。川越さんだって、大企業の役員だったじゃないですか」 「そんなのは親のコネだ。自分の力じゃないさ──。自分から何かをしようと思うことこそ、人生には意味がある」 「──深いですね。さすが、御曹司は違いますね」 「からかってるだろう夏川君」 「滅相もございません」  そんなことを言いながら、お互い高らかに笑い合う。夏川君が()いた豆でコーヒーを淹れ、僕がカウンターでそれを(すす)る。そして、他愛も無い会話を交わす。倍以上も歳が離れているのに、こんなに気が合ってしまうのは何故だろうか──。 「まぁ、夏川君は商売だからな……」 「何か言いました?」 「いや、何でもない。そろそろおじさんは退散するとしよう」  店内は満席ではないが、僕だけを相手にできるほど夏川君も暇じゃない。会計を済ませ、背もたれに掛けていたジャケットに袖を通して喫茶店を後にした。  沈み始める夕日を浴びながら、再び独りになる。「またお待ちしてます」と言う夏川君の声が既に名残惜しいとさえ思う。数えきれないほど足を運んでいるのに、この感情は不思議なものだ。  今日もまた夜が来て、風呂に入って寝るだけ。そしてまた朝が来て、同じような日々が過ぎる。もう慣れてしまった怠惰(たいだ)な毎日。あとは本当に、燃料が無くなるのを待つだけだ。  そんなことを思いながら、とぼとぼと歩いて自宅に向かう。  すると、もうすぐ着こうかというところで──玄関の前で、若い女性がキョロキョロしている。リュックの持ち手を握りながら、明らかな挙動不審。いくらおじさんの自分でもさすがに不気味さを感じ、無視して通り過ぎようとする。  すると──。 「あ、あの!!」  なんと話しかけられてしまった。 「──え?僕?」 「そう、あなた!」  どうしよう、けっこう声も大きいし面倒だな……。 「はい……何でしょう」 「川越 真悟さんって、あなたですか?」 「へっ?」  突然フルネームで呼ばれ、戸惑う。  いや、そもそもこの子は何で僕の名前を知ってるんだ?ちょっと怖いな……でも目の前の自宅には表札も貼ってあるし、嘘をつくわけにはいかない。 「はい、僕が川越ですが……えっと、どこかでお会いしましたっけ?あ、両親の会社の人ですか?」  目の前の人物が誰なのか、必死になって記憶を掘り返す。  しかし次の瞬間、そんな頭の回転を吹き飛ばすほどの衝撃的な言葉を、彼女は言い放った。 「私、あなたの娘です」
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