第一章

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 法事からの帰り道、日が傾きかけた時間帯の街中の大通り沿いに車を止めてもらい、車内で私服のジーパンとVネックのキャラコラボTシャツに着替え終わっていた洋太が自分の荷物を持って降りる。実家からは市電で二駅くらい離れた場所だ。  姉が窓を開けて、ねぎらいとともにさりげなく問いかけた。 「今日はお疲れ。あたしはこのままもう一軒のほうにお母さんを迎えに行くけど。あんたは、また”向こう”に泊まるの?」  その言い方には少し、複雑な意味が込められているように洋太には聞こえた。 (そっか、姉ちゃんは”あいつ”のこと知ってるしな……)と思いつつ、つとめて何気なさそうに洋太が笑顔で答える。 「うん、そのつもりだけど……」 「ふーん……泊まるのは別にいいけど、ほどほどにしなよ。まだ繁忙期終わってないんだから。当日の朝、急に足腰立たなくなったとか困るからね」 「うっ……」  何故か真っ赤になって言葉に詰まる洋太。   車を出そうとして窓ごしに振り返った姉が最後、やけに神妙な顔でぽつりと言葉を続けた。 「……で。あんた、いつお母さんには言うつもり? ちゃんと考えときなよ」  とっさに答えられず立ち尽くしている間に車が出て行き、洋太はひとつ溜息をつくと、着替え入りのバッグを肩にかついで住宅街に向かって歩き出した。  洋太の実家の寺は、数年前に先代住職だった祖父が病気で急死してから、母が代理として葬式や法事などの寺の勤めを果たしている。  最近は業界的な後継者難で女性住職も増えているし、ちゃんと僧侶の資格取得のために三年間の通信教育を受講しているのだから、寺の一人娘だった母が住職を名乗ってもよさそうに洋太などは思うのだが。  それでも、やはり高齢者が多い檀家や古い土地柄への配慮もあって、いまだに本人は住職代理で通している。洋太が小学生の時に婿だった父親が離婚して出て行ったので、荻谷家には父親がいなかった。  洋太と姉は幼い頃から、何かと地域の行事全般に関わることの多い、歴史ある寺を背負おうと努力し、いつも疲れている母の姿を見てきたので、自然と姉弟で出来る仕事を分担して手伝うようになっていた。  洋太自身、家を継いで僧侶を目指すのなら、一般的には仏教系の四年制大学を出たほうが、僧籍といってお坊さんの階級としての出世は早くなるのだが、早く母の役に立ちたかったので専門学校を選択した。もともと高校は進学校だったし、専門学校在学中の成績は、決して悪いほうではなかったと思う。  しかし――。実際に法事などで僧侶としての仕事をこなすようになって、改めて感じるのは、周囲のためにやりたいと思うことが、自分自身に本当に向いているとは限らない……という当り前の事実だった。  学校で勉強するのは特に嫌ではなかったのだが、どうも自分はかしこまった場面が苦手というか、姉に言わせればプレッシャーに弱いのだろう。読経に集中すると他の何かを失念してしまうことが度々あった。  今はまだ、法事では姉が補佐してくれるし、住職業も見習いという体裁なので、それほど重い責任は追わされていないのだが。いつか何か大きな失態をやらかしそうで、”本業”といいつつ、なかなか自信が持てなかった。  (オレなんかより、姉ちゃんのほうがずっとしっかり者だし、向いてると思うんだけどなあ、住職……)  困ったような顔で天を仰ぐ洋太。  (でも、やっぱり男のオレが継がないといけないんだろうな……はあ……)  ラン講師のバイトをしている時はあれほど明るかった表情が、夕暮れ前の日の陰りもあって少し物憂げに沈んで見えた。 (お母さんを助けたいし、家のために頑張らなきゃっていけないって頭ではわかってるんだけど……それでも、オレには……)  実のところ、洋太には現在、交際している相手がいる。それも、”同性”の。  今向かっているのも、その恋人と休日に会うために、ラン講師の副業用の拠点と称して共同で借りているワンルームマンションだった。  自分の性的嗜好を明確に意識したのは、ごく最近……というよりも、その相手と出会って、色々あって付き合うことになって初めて、自分が「男性が好き」だということに気づいた。道理で、学生時代にかわいいと思う女子から告白され、付き合ってみても何故か続かないわけだ。  しかし、自分が同性と交際しているという事実は、母親を含めて周囲には秘密にしている。偶然、知られてしまった姉を除いては。  何しろ、地元で生まれ育って、皆から圧倒的に信頼されている母でさえ、自分からは住職を名乗りづらいような古い土地柄なのだ。もし跡継ぎである自分の恋人のことを高齢の檀家達に知られたら、面倒なことになりそうな予感しかない。  いくら妻帯や蓄髪には寛容な宗派とはいえ、同性愛まで、そうだという保証は何処にもないのだ。  洋太は少し深刻な顔をして、うーんと唸った。と、きゅるる……と腹の虫が小さな音を立てる。かなり早い朝食の後、バイト休憩中のエナジーバー以外にまだ何も食べていなかったことを思い出した。 (……まあ色々あるけど、また後で考えればいいか。ついでに夕飯の買い出ししてこうっと!)  さっそく頭を切り替えて途中のコンビニに寄り道する。あまり難しい考え事が続くほうではないのだ。  洋太は鼻歌交じりに、かごの中に二人分のコンビニ弁当とドリンクなどをぽいぽいと入れて行った。
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