第五章

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「げっ……」  洋太もそう呟いて絶句していると、後方の車からクラクションを鳴らされた歩美があわてて軽自動車を発進させて通り過ぎて行ったが、見えなくなるまで凄い目つきで洋太のほうを見ていた。  様子がおかしい洋太に気づいて、順平が問いかける。 「どうした? 洋太」 「あちゃー……いきなり見つかっちゃったよ……姉ちゃんに……」 「ん? 今そこを通った車か? ……まあ、あのひとは勘が鋭いようだから、遅かれ早かれ気づかれただろうな」 「何お前余裕こいてんの?! あー絶対、家に帰ったらめちゃくちゃ詰められる……」 「そうしたら正直に言えばいいだろう。別に、オレは全く構わないぞ」 「オレが構うの‼ ったく他人事みたいにー!」  洋太の予想通り。その日の夕方、実家に帰った洋太は、待ち構えていた姉の歩美につかまって、洋太の部屋で根掘り葉掘り、つきあうことになった経緯から、これまでのことを尋問された。  この少し前に、洋太が「ラン講師の副業用の拠点」としてワンルームマンションを借りようと思っている、と言った時。リビングのソファで話していた洋太を、驚いたように見つめて心配する母親に、歩美がさりげなく助け舟を出してくれたのだった。 「別にいいじゃない。洋太だって一応は、もういい年した社会人なんだから。親密な女の子とか出来ても、親と住んでる家の自分の部屋に連れてくるのって、ちょっと気まずいだろうし……」  姉の微妙な擁護に赤面しながら、目を剥いて反論する洋太。 「い、いないからね?! オレまだ、彼女とか……!」 「はいはい、わかってるわよ。仮に、出来たらって話――」  そこまで言って、歩美がハーブティーを作っていた手の動きを止めた。  歩美の視線の先には、両手で赤らんだ頬を押さえながら、恥じらうように顔を俯かせている母親の姿があった。息子の彼女とのあれこれを想像してしまったらしい。  その純情な乙女のような反応に、ごく小さな声で、呆れたように歩美が呟いた。 「……このひとって確か、子供二人産んでるのよね……?」  洋太がますます焦って、真っ赤になりながら母親に抗議した。 「ちょっと、お母さんまで?! 本当に彼女とかいないから、オレ! 聞いてる?!」  洋太が回想から現実の自分の部屋に戻ると。  ベッドに腰かけた歩美が非難がましい目つきで、じとーっと自分を睨んでいた。 「……確かに、いなかったわね。”は”……」 「うっ……だから、ごめんって、今まで黙ってて……」 「あたしのことは別にいいけど、本当にどうするのよ? あんた、うちの寺の跡取りなのよ? 自覚持ってる?」 「わかってるよ……でも……」 「でも?」  顔を上げた洋太が、頬を紅潮させつつ真剣な眼で、歩美の眼を見て言った。 「あいつのこと、好きになっちゃったんだから、どうしようもないよ……」  それを聞いた歩美が、ふいに戸惑うように視線を泳がせた。どこか遠くを見る表情をして、ぽつりと独り言のように呟く。 「まあ……そうよね。……本当に好きなら、仕方ないのかもね……」  何故かそれ以上、姉は追及してこなかった。  順平との交際、”おうちデート”用の部屋のことも、しばらくは秘密にしてくれるという。その代わりに、洋太は実家の寺のこと、母親にどうやって話すかなど、ちゃんと将来のことを考える、と約束させられた。  姉は姉で家のことも弟のことも心配してくれるのが伝わってきたので、洋太も素直に頷いた。母親には事故の時に酷く心配を掛けてしまったので、出来ればこれ以上の心労の種を与えることは避けたかった。  そんなこんなで事実上、姉の”公認”(黙認?)を得て、洋太と順平の新しい生活が始まったのだった。檀家や近所の人にバレないように、敢えて市内でも関わりの薄い地区を選んで部屋を決めていた。  二人でエコバッグ持参で近くのスーパーに買い出しに行き、ワンルームの狭いキッチンで並んで料理を作ったり、洋太が選んだテーブルを挟んでラグマットに座って、その日の料理の出来をあれこれ批評しながら仲良く食べたりした。  よく晴れた日は特に目的もなく二人で公園に出かけて、芝生に寝転んでしゃべったり、買ってきたハンバーガーショップのランチセットを食べたりした。  天気の悪い日は洗濯物を持ってコインランドリーに行き、待ち時間にベンチに並んで座って、一つのイヤホンを分け合いながら洋太の好きな音楽を聴いたりした。  たまの贅沢として、洋太のたっての要望で一緒に健康ランドに遊びに行き、帰りにラーメン屋のカウンターで並んで餃子とにんにく入りのラーメンを食べたりもした。洋太が残した分は、当然のように順平が処理した。  季節の移り変わりとともにだんだん気温が下がって来て、風が少し冷たいと感じる時などは、洋太が何も言わないうちから順平が逞しい腕を恋人の肩に回して、自分の高い体温で洋太の冷えた体を温めてくれた。  そして、もちろん夜になれば、シングルサイズの一つしかないベッドで抱擁して、明け方近くまで濃密に愛し合い、眠る時にはぴったりと体をくっつけて眠った。  順平は後戯の後でよく腕枕をしてくれたが、筋肉がつき過ぎて首が疲れると洋太が笑いながら苦情を言うと、それ以来、洋太を腕の中に囲うように、大きなぬいぐるみを抱きしめるような恰好で眠った。身長差がちょうどよかった。 ――そんな風にして、二人だけの短いけれども幸せな時間を一つ一つ積み重ねてゆくうちに、気がつけば街のあちこちに、クリスマスの華やかなイルミネーションが飾りつけられる季節になっていた。
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