悪者になりたかった月の夜に

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 ◇  真昼の教室。授業中に、佐野はぼんやりと肘をつきながら敷島の横顔を見ていた。相変わらず能面のような固い表情だ。  これはあの夜、ニキから聞いたことだ。  ちなみにニキは二木でも仁木でもなく、『兄貴(アニキ)』のニックネームだったらしい。  彼はシスコンで、妹と腕を組んで歩きたがったりハグをしたがったりする。敷島はそのことを非常に迷惑に思っているのだという。  そのシスコンの兄貴が言うには、敷島の能面顔には理由があるらしい。 「チックって知ってる? 無意識にまばたきしたり、顔を顰めたり、声が出ちゃったりする現象なんだけどさ。あいつ、子供の頃それで。変な行動が出ないように、意識して表情を抑えようとしているうちにあんな顔つきになっちゃったんだよね。症状は小五くらいで治まったけど、今でも表情を意識する癖が抜けないみたい」  家に帰ってから佐野もチックについて調べた。発達途中の神経の不安定症が原因で、本人や親のせいで発症するわけではないらしい。一般的に不安の原因は分からないことがほとんどだというが、ニキには心当たりがあったようだ。 「うちって実は音楽一家でさ。俺も子供の頃からピアノとヴァイオリン習わされたりしてたわけ。でも俺にはギター(こっち)の方が向いてた。渚はピアノピアノピアノって感じで三歳からずっとピアノ漬けでさ。それがプレッシャーになってたのかな。コンクールが近づくと症状がひどくなるんだよな。可哀想に」  実力的には既に音大生並みだったにも関わらず、コンクールで敷島が優勝することはなかった。  やがて彼女の両親は彼女をコンクールに出場させるのを諦めた。  けれども、敷島はピアノが嫌いになったわけではなかった。  表舞台では思うように弾けなかったが、相当な技術を努力で身につけていた。  聞かせる相手がいないのに。  ニキはその才能を惜しみ、苦しんでいた敷島を救うため、彼女を夜のストリートピアノに誘った。  誰でも自由に、ただ楽しくピアノを弾ける場所。  夜という照明が彼女のプレッシャーを削ってくれた。  あそこは敷島のリハビリの現場であり、自分を表現できる解放の舞台だったのだ。  どうりで、幸せそうだったわけだ。
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