狸の尻子玉が河童に狙われる話

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「えーー︎⁉︎バコさん地元に帰っちゃうのーーーー⁉︎︎」  逆バニーの美少年――睦月の叫び声が週末の店内にこだました。 「むーちゃんの金づ……、いやお財布……じゃなかったお小遣いがあああああ」 「むーちゃんむーちゃん、心の声隠せてないから」  おいおい泣きながらバコさんに縋りつく睦月に、川端が冷静にツッコむ。  お盆前にバコさんは四国へ向かうらしい。今はすでに八月に入ったが、川端とバコさんはまだ酒飲み友達のままだ。  夏野菜が豊富に出回り、キュウリのメニューが増えたのは喜ばしいことだ。しかし来週からは一人で飲みに来ることになるのかと、川端はわずかな苦味を噛み締める。 「さみしくなるなあ」 としみじみ呟くも、バコさんは「そんな大袈裟な」と困ったように麻呂眉を下げるばかりだ。 「案外いい人見つけて帰って来なくなったりするんじゃないの?」 「そんなことあらへんて」 「あ、そうだ。実家帰る前にうちの店来なよ。かっこよくコーディネートするから」 ――――コトン と一升瓶の底がカウンターを打ち鳴らし、微かな音にも関わらずその場の妖怪たちの視線を吸い寄せた。一升瓶を掴む手の先を目線で追えば、店長の海老原がニッコリと微笑んでいる。 「試作品なのですが、よろしければ召し上がってください。バコさんの門出に」 「えっ、あっ、どうもありがとうございます」 夏らしい江戸切子のグラスに注がれた透明な冷酒はキンと冷たく、口の温度で温まると華やかな香りが花火のようにパッと弾けすぅっと消えていく。 「わあ、美味しいなあ」 「川端さんもどうぞ」 「あ、ども。へえーークセになる味っすね」  川端が酒の感想を述べると海老原は笑みを深めた。 「むーちゃんも! むーちゃんにもぷりーずぅ!」 「お客様が先ですよ」  海老原はごゆっくり、と会釈すると酒の瓶を抱え厨房に持っていった。 「あ、それでさあ、さっきの話だけど」  川端はバコさんに顔を向けると 「僕、本当は帰りとうないんや」 と小柄な背中を更に丸くしていた。 「帰っても兄ちゃんや弟と比べられて終いや。孫の顔もはよ見せろ言われるし。兄弟らの子がもう二十匹もおるのに。人間の世界ならて思っとったけど、そこでもパッとせえへんし」 「え、ちょっ、バコさん酔ってる? 大丈夫?」 「でも……川端さんはよう僕を褒めてくれとったなあ」  川端はバコさんのまん丸な手の上で弾ける雫を見てしまいギョッとした。 「むーちゃん、お勘定。バコさん酔っちゃったみたいでさ」 「はーい、毎度ありー」  睦月は椅子の隙間や壁や天井をピョンピョン跳ねながら伝票やら電卓やらを取りに行った。 「人間の世界でようやっとるて……人がいいて、良く見とってくれる御仁がおるんやなあて、僕嬉しかったんや」 「はいはい、水飲んで」 「僕川端さんが好きや」  ガシャン、という音と共に水が床に広がった。グラスを落っことした水掻きのついた手はグラスを持った形のまま固まっている。一拍おいて、ガバッとバコさんが起き上がる。 「ああああああ⁉︎ え、何⁉︎ 僕こんなん言うつもりなかったのに! うわあああああ絶対川端さんに嫌われるううぅぅぅ!!」  その叫び声に「大丈夫っすか⁉︎」と猫又の少年が雑巾を持って駆け寄り、睦月が「なになにぃ?」と電卓とトレーを持って歩いてくる。 「いやちょっと待ってって! まず落ちつこ」 「こんなオッさんに告白されて何が嬉しいねん、シュッとしたイケメンにも若い子のカッコにも変化できへんし」 「俺はむしろそのまんまの方が好みだけど。尻がめっちゃ好みだし」  川端はバッと手のひらで口を押さえた。おかしい。明らかにおかしい。言いたいことというか脳みその中で浮かんだ言葉が口からダバダバ垂れ流されてしまう。  今川端の頭のお皿の下は、バコさんのことでいっぱいだった。河童だけに流されてはならぬと僅かな理性が食い止めにかかるも、尻へのパッションは抑えきれずとうとう決壊した。 「バコさんの尻はマジで世界一だと思う。信じられないほどもちもちでむちむちだし。俺はおっぱいより顔より圧倒的に尻派なんだわ。むしろ一目惚れしたんだわ。尻に。 尻子玉も天下一品だと思うよ。死ぬ前に一目見たい。だってバコさん優しいし真面目だし謙虚だしバッチリ人間の会社に溶け込んでるし普通にすげーんだわ。んで威張らないし。尻子玉てそういうの出るちゃうんだわ。そういう人のはそりゃもうダイヤモンドばりにピッカピカよ。 尻抜きにしてもそういうとこに惚れる。ってか惚れた。だからさ、あれだよ、俺もバコさんが好き……です……」  自分がなんと言っているか自覚するにつれ言葉は尻すぼみになっていき、最後は何故だか敬語になってしまった。周りの客や従業員二人はポカンと口を開けており、海老原は一人笑みを浮かべている。  それを見た瞬間、まさか、と川端の米神に冷や汗が伝う。少し考えてみれば先ほど出された酒が怪しすぎる。 「公開処刑はないでしょ……」 「ですから早めにと。それに公開処刑なんて、祝福してくださる皆様に失礼ですよ」 「外堀埋めてくるのエグ……」  飛び交う拍手や口笛は確かにありがたいが、小っ恥ずかしく皿の水が蒸発しそうである。  バコさんはというと、ボンっと音を立てて顔を真っ赤にしたかと思えばぷしゅううぅと縮んで元の狸の姿に戻ってしまった。心配そうに睦月と猫又の少年が揺さぶるが、バコさんは目を回したままぐんにゃりしている。 「店長なんとかなんないの? さっきの酒ホントに大丈夫なやつ?」 「ほんの少し口の滑りをよくするだけものですよ。酔いが回ったのとキャパオーバーで気絶しているだけかと。まあ二日酔いにならないようにはしてあげましょう」  海老原の手が発光し、バコさんをもふもふと触るとしょぼしょぼだった体毛はつやがでてふんわりした。 「依田くん、送ってあげてください。川端さんも一緒に」  依田と呼ばれた金髪にサングラスの美青年は「承知した」とロッカールームに愛車の鍵を取りに行った。依田のスポーツカーに乗せられバコさんのアパートに着くと、「麗しき海の精霊からの福音(ゴスペル)だ」とバコさんのビジネスバッグを渡される。なぜかアマビエのラベルの貼られた怪しげな瓶が刺さっていたが見ないふりをした。 「では良い夢を」 「えっ俺は⁉︎」  取り残された川端は中二病キャラで通っている吸血鬼を呆然と見送る。
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