狸の尻子玉が河童に狙われる話

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 現代社会において、人間の世界で住む妖怪たちは昔ほど正体を隠すのに苦心しなくなった。  例えば黒塗りの壁に窓には簾、竹や立葵を組み合わせたフラワーアレンジメントを飾った和モダンな美容室で 「あの、頭に乗せてるのってお皿・・・・・・?」 と客に突っ込まれても 「ファッションです!」 と自信満々に返せば押し通す事ができるくらいには。  この美容院で働く美容師、川端は河童である。見た目は五十代の男性で派手な柄シャツとマンバンヘアに乗っかった白い皿が特徴的だ。垢抜けたイケオジ要素とカリスマ美容師と称される腕前も相まって、川端は人間の社会を上手く渡っている。  そんな川端の楽しみは仕事終わりの一杯だ。美容院での仕事を終えた後、 「おつかれーっす」 と店長の"髪切り"と同僚の口裂け女に声をかけて繁華街に向かう。  川端は解放感に浮かれながら行きつけの店への入り口を探す。  金曜日の夜なので人間が多く、ついついこれはという人物を目で追ってしまう。人物、というより尻であるが。相撲が強そうな尻だとか、尻の形が良いだとか、いい尻子玉を持っていそうだとか。  尻子玉は魂の塊で、河童にとってえもいわれぬ魅力を持ったものである。カラスが光り物に惹かれるのに近い。食べてもよし鑑賞してもコレクションしてもよし、楽しみ方は河童それぞれで、穢れを知らぬ者の尻子玉ほど美しく美味であるとされている。  川端はよほどの上物でないと食指が動かぬ面食いならぬ"尻食い"だ。そんな川端がハッと人混みの中に視線を投げかける。  それは歩くたびたゆんたゆんと上下に弾んでいた。ボウリング玉でも入っているのかと聞きたくなるくらい大きな尻は枯葉色のスーツにむっちり包まれている。まろみのある曲線が尻の肉やまん丸な腹や福々しい頬を縁取り柔らかそうである。  川端は足早に近づいていき、その尻たぶを下からぐぁし、と掴んだ。 「よっ、バコさん」 「びゃっ!」  尻を掴まれた者は肩を跳ね上げ、ぽよんとふさふさの尻尾が飛び出て一瞬で消える。 「川端さあん、ビックリさせんといて」  振り返ったのは恰幅の良い、小柄な中年のサラリーマンだ。つぶらな目の周りには隈のような縁取りがある。 「僕変化が上手くないんやから」 「尻尾が見えてたぞ〜?」 「だから川端さんが驚かすからやろ⁉︎」  バコさんこと金長団三郎は化け狸である。普段は妖力を込めた葉っぱのネクタイピンを付けてサラリーマンとして人間の会社で働いている。バーコードのようにまだらな髪から、人間からも妖怪からもバコさんと呼ばれていた。  バコさんはぷりぷりしながらも川端と並んで歩く。二人の行き先は同じだからだ。  川端はバコさんのむっちむちの尻に目が行く。川端にはわかる。あの尻には上質な尻子玉があるには違いないと。人の良い、いや狸の良いバコさんは人間社会で苦労しているらしいがその善き魂が尻子玉に反映されている。採れたてきゅうりのようにピッカピカに違いない。  繁華街を歩くうち、路地にふわりと赤提灯の灯が浮かぶ。その周りをふよふよと鬼火が漂っていた。その灯りを辿っていくと、天海の鬼火亭と書かれた看板がばばんと現れる。それを掲げる木造の居酒屋からはすでに店員同士の掛け合いや炭火の匂いが漏れている。  赤い暖簾をくぐれば 「バコさんに、川端さん! いらっしゃいっす!」 と猫耳を黒い髪から生やした作務衣の少年ーー彼は猫又だーーが威勢よく声を掛けた。いつものようにカウンターの一角に並んで座る。  珍しく人間がいて、だし巻き卵をバクバク食べていた。しかし川端の好みの尻ではなかったのでメニューに目を走らせる。 「サラダマティーニときゅうりのオーブン焼き、あとキムチきゅうりと糠漬け」 「板わさとたぬき豆腐、天かす多めな。あとだし巻き卵に芋焼酎ね」  猫又の少年はメニューを書き留め厨房に消えた。入れ替わるようにして、光り輝くような美青年がカウンター越しに現れる。店長の海老原だ。彼はアマビエである。川端とバコさんを見て赤い眼を細める。 「いらっしゃい。今日は玉藻さんは?」  玉藻は繁華街でクラブを経営する九尾の狐である。 「おらんよ。僕のお給料じゃそう何回も同伴はできんて」  ぽっとまん丸な頬を染めるバコさんに川端は眉を顰める。胸にもやもやしたものが立ち込めるが、手をパタパタ振って掻き消した。 「やめときなって。横にいい男がいるっしょ」 「いやあ二人とも僕なんか釣り合わんて。たまにお酒飲むくらいがちょうどええわ」 「はーん。俺はいい尻してると思うけど」  尻たぶをぺちんと叩くとバコさんのふさふさ尻尾がぽんっと現れた。  だから、とまん丸の目を少しだけ三角にして怒るバコさんだが、 「お通しでーす」 と料理が運ばれてくると顔を綻ばせた。美濃焼の皿に乗った叩ききゅうりと茄子のチーズ焼き、トマトのキムチを運んできた逆バニーの美少年ーー睦月は「ねえねえバコさんおひねりぷりーずう」とアヘ顔でハアハアとバコさんに擦り寄る。 「ごめんなあ給料日になったらな」 「いいじゃんいいじゃんサービスするからあ」 「むーちゃん衣装変わったぁ? カワイイじゃん」 「エヘヘわかるー⁉︎」  川端が声をかけると睦月は上機嫌になる。背中に生えた黒い羽根や尻尾がピコピコ揺れた。 「カラーとリボン新しくした? レモンイエローが夏っぽくていいね」 「さっすが川端さーん!」  などとキャッキャウフフしながら、バコさんの尻を触っていいのは自分だけだと川端はお通しの叩きキュウリを頬張る。  そして誰にでもこんな調子で話しかけるものだから、 「まあ、僕みたいなおっさんより若い子がええわなあ」 とバコさんは密かに嘆息し、自分が口説かれているものだとは露にも思わないのであった。  
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