狸の尻子玉が河童に狙われる話

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 翌週の金曜日、バコさんと川端は何ごともなかったかのように"天海の鬼火亭"に現れた。  お互いがお互いに、脈がありそうならあるいはと目論んでいたのだが、あまりに相手が普段通りに振る舞うものだから、やはり酒の失敗ということにしようと日和ってしまったのである。色恋の仕方や駆け引きなんぞとうの昔に忘れてしまった。  やがて特に進展もないまま、バコさんは四国に旅立った。  それからも、川端は週末になると独りで"天海の鬼火亭"に通っている。  サラダマティーニを店で傾けているがどこか味気ない。もう秋口に差し掛かり、キュウリの旬も終わりがけかとキュウリの糠漬けを頬張る。  するとチャイナドレスを纏った美女が隣に座った。尻からは九本の狐の尾が扇のように広がっている。尻はキュッと引き締まった美しい形をしているが、川端の好みではない。 「玉藻ママじゃん。独りで珍しいね」  玉藻はニコリと微笑み会釈する。 「バコさん地元帰っちゃったんだよ、ママ聞いてた?」  玉藻は首を振りお品書きを広げた。 「はあーあ、バコさんママに憧れてたみたいだよ? なんにも言わずにいっちゃったかあ。まあ俺もだけど」  玉藻の柳眉がピクリと動く。川端を見れば、ふてくされたように肘をついてキュウリをポリポリ齧っている。 「いいキュウリ食ってもなんか味気なくてさ、バコさんと飲む酒が一番美味かったんだよなあ。惚れたとか腫れたとかもう忘れちゃったけどさあ、俺バコさんがいないとダメみたいだわ、今度会えたら……って」  ふと川端が玉藻に目をやると、饅頭の妖怪がいた。吊り目の周りに隈ができて、ほっそりした輪郭はぷくぷく丸くなり、チャイナドレスに包まれた身体は肉まんのように膨れていた。  川端は思わず口からキュウリを噴き出す。 「ど、どうしちゃったの⁉︎」  オロオロ狼狽えているうちに、九本の尻尾は一本にまとまり、長い髪の生えた頭頂部は薄くなっていきバーコード模様になっていく。玉藻の座っていた椅子には、ワイシャツにネクタイを締めたバコさんが背中を丸めていた。 「え、えっ、嘘! バコさん⁉︎ 帰ったんじゃなかったの⁉︎」 「帰ったよ、跡目継いだ兄ちゃんのお披露目に参加してきたんや。里帰りて言うてなかったっけ?」 「店長ぉ!」  川端が叫ぶも、海老原はしれっと澄まし顔で「帰って来ないなんて言ってませんけど?」とカウンターのグラスを下げている。 「バコさん変化がお上手になられましたねえ」 「どちらいか(ありがとう)。久しぶりに修行つけたるて親父や叔父さんらにしごかれてなあ。まだ声真似は出来んしそんな長いこと持たんけど、ビックリさせたろと思て」 「ビックリしたした! バッチリ騙されたわ」 「そこは"化かされた"て言うて欲しいわあ」  また楽しそうに話し始める二人を見て、海老原はニッコリ微笑む。  そこにおかえり! とバコさんにタックルしてきた睦月が加わり、本物の玉藻ママも来店し、ますますカウンター席は賑やかになった。 「ただいま!」 とニコニコするバコさんの顔は、たいそう晴れ晴れとしていたという。 【閉店】 の前にもう少し……………… ――「それにしてもバコさん真面目だねえ、せっかく仕事が休みなのに修行って」 「おっさんらに無理矢理引っ張りだされただけやて。古狸がぎょうさんおるから僕なんかまだ若造なんや」 「言うじゃん。でもこりゃあまた尻子玉の輝きに磨きが」 「いやもうええやんそれは!」 「いいじゃん、また見せてよ」 「あかんて!」 「まあいっか、こっちにいるんだったらゆっくり口説き落とすし」 「え? 今なんて?」 「別にぃ」  ――――これにて【閉店】!
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