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相手を寝かしつけないと出られない部屋
華の金曜日。
残業を終えた俺は終電間近の電車に揺られていた。
社内では飲み会帰りらしきサラリーマン達の姿がちらほらと見受けられる。
「……ふぅ」
座席の端に座って窓の外を流れる景色を眺めていると段々瞼が重くなってきた。
ここ数日、仕事が忙しくて寝不足気味だったせいだろう。
睡魔に抗おうと必死に瞬きを繰り返してみたが、その抵抗も虚しく心地よい揺れに誘われるようにして俺の意識はゆっくりと微睡みの中へと沈んでいった。
それからどのくらいの時間が経っただろうか。
俺は肩を軽く揺さぶられる感触で目が覚めた。
「山吹、おい。おーきーろー」
聞き慣れた声に目を開けると、パジャマ姿の桜庭が至近距離で俺の顔を見下ろしていた。
状況が掴めずに目をぱちくりとさせる。
ここはどこだ。
先ほどまで電車に乗っていたはずなのに、今は何故かふかふかのベッドの上にいる。
「え、桜庭……?」
「まだ寝ぼけてんのか」
「えっと、」
俺は混乱した頭で周囲を見渡すとようやく状況を理解した。
「あ、ここ……」
真っ白な壁に囲まれた部屋の中には扉がひとつと大きなホワイトボード、そして今俺が横たわっている天蓋付きベッドがあるだけだ。
「またあの夢か」
「ああ」
俺はベッドから身体を起こしながら周囲を見渡した。
3度目の『出られない部屋』。
ヤレヤレと言わんばかりにため息をつく桜庭とは対照的に俺の心は高揚していた。
今回は一体どんな条件が課されるのか。
前回は『ハグをしないと出られない部屋』、前々回が『手を繋がないと出られない部屋』……。
という事はそろそろ『キスをしないと出られない部屋』なんて出てきてもおかしくないのではなかろうか。
俺は期待を込めてホワイトボードに浮き出た文字を見た。
【相手を寝かしつけないと出られない部屋】
「……ん?」
一瞬見間違いかと思ったが、何度読み返してもそこに書かれた文章は変わらない。
「なんだこりゃ」
桜庭が不思議そうな顔で呟いた。
今までとは違う変化球すぎる指令に俺も戸惑ってしまう。
寝かしつけるって具体的にはどうすればいいんだ?
子守唄?羊を数える?それともおとぎ話でも聞かせればいいのか?
「『寝かしつける』ってなんか子供みたいだな~」
「でもまぁ、やるしかないよな。こんな部屋に長居したくねーし」
桜庭はそのままベッドに潜り込むと、適当な枕を手繰り寄せ、掛け布団を捲ってポンポンとシーツを叩いた。
これはまさか……。
「ほれ。早く来い」
相変わらず合理的な性格というか、無駄を嫌う男である。
「……えっと、あの、はい」
ここで変に照れて躊躇する方が恥ずかしいかと思い直した俺は言われるがままに桜庭の隣に収まった。
そのまま仰向けに転がる。
こんなフリルでいっぱいのベッドに大の男2人が並んで眠るというのは中々シュールな光景だ。
「お前、今日は残業で疲れてるだろ。さっさと寝ろ」
「お、おお?」
「あと明日は休みだしゆっくり休んどけ」
「うん、ありがとう……」
そう言って俺の胸あたりを掛け布団の上からトン、トン、と一定のリズムで優しく叩く桜庭の手つきはとても丁寧で優しいものだった。
「……ん?ちょっと待って。俺が寝かしつけられる方なの!?」
「別に指定はなかったろ」
「それはそうだけど」
「いいから黙って目閉じて深呼吸しろ」
「こわ」
せっかくなら俺が桜庭を寝かしつけたかったなーなんて思っていたが、有無を言わせない口調に気圧された俺は大人しく目を閉じることにした。
……眠れない。
桜庭の体温と香りに包まれているからだろう。
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