手を繋がないと出られない部屋

1/1
12人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ

手を繋がないと出られない部屋

目が覚めると、俺は見覚えのない部屋でベッドに横たわっていた。 体に異常はなく、身に付けている上下セットのスウェットも俺がいつも寝るときに着ているものだ。 キングサイズぐらいありそうな巨大な天蓋つきベッドにはふかふかの大きなクッションと枕がいくつも置かれている。 「……どこだここ」 起き上がって周囲を見回す。 壁も床も天井も真っ白な正方形の部屋だった。 あるのはこの殺風景な部屋には似つかわしく無い天蓋つきベッドと扉が一つ。 ベッドはたっぷりとしたレースカーテンに覆われており、布団と枕には大ぶりのフリルが施されている。 まるでお姫様が眠るためのような豪奢な作りだ。 そして扉の真上には長方形のホワイトボードのようなものが取り付けられていた。 そこには何も記載されておらず、用途もよく分からない。 「変な夢だなー」 間違いなくこれは夢の中だ。 俺の経験上、この手の夢は下手に行動するとロクなことにならない。 まずは相手の出方を伺おうと、俺は再びベッドの上に寝転んだ。 ふかふかで肌触りが良いシーツを撫でる。 夢の中でも睡眠って取れるものなのか? そんなことを考えながら寝返りを打つと、ふと布団の膨らみに気付き思わず飛び起きた。 「うおっ!?誰!?」 恐る恐る布団の山を人差し指でつついてみるが反応はない。 「……失礼しまーす」 そっと布団を捲るとそこには紺色のパジャマに身を包んだ男がすやすやと寝息を立てていた。 「え、桜庭?」 桜庭琥太郎。 彼は俺の同僚であり、職場で最も親しい男だ。 いつも仏頂面でとっつきにくい印象を与えがちな奴だが、仕事に関しては優秀だし何より誠実な性格をしている。 しかし、どうしてよりにもよってこの男なんだ。 もしかして、ついに俺の願望が夢に反映されてしまったのだろうか。 両親にすらカミングアウトしていないが、俺はいわゆる同性愛者だ。 そして一年ほど前から目の前の男に想いを寄せている。 もちろん告白する勇気なんて持ち合わせていないし、この恋が叶うとも思っていない。 ただ、気のいい同僚として側にいられたらそれだけで十分だった。 こんな夢を見るなんて欲求不満なのだろうな、と苦笑して頭を掻く。 とりあえず起こしてみるかと思い肩に触れた瞬間、彼が目を開けた。 「ん……誰……」 「おう。おはよ」 「……山吹?」 どうやらまだ意識が覚醒していないらしい。 普段なら絶対に聞けないような甘い声音で名前を呼ばれ不覚にもドキッとしてしまう。 伸びをしながら体を起こした桜庭は、周囲をキョロキョロと見回した後、俺の顔を見て言った。 「ここどこだ?」 「さぁ?俺もさっき目が覚めたばっかだから」 「ふーん。変な夢」 夢の中の登場人物がこの世界を「夢」だと自覚しているというのは珍しいパターンだ。 しかし、俺はそんなことよりも目の前の男に見惚れてしまっていた。 普段は綺麗に整えられている黒髪は無造作に乱れ、鋭い目元もどこか幼さを残している。 なんだこれ、可愛いすぎるだろ。 「なに人の顔じろじろ見てんだよ」 「あ、や、すまん。なんかパジャマ姿の桜庭、新鮮だなーって」 「……あっそ」 桜庭はそう吐き捨てると、おもむろに立ち上がりたった一つしか無い扉に向かって歩き出した。 「あ、おい」 つられて俺もその後について行く。 ぺたぺたと素足特有の音を響かせながら扉の前に立った彼は、躊躇なくドアノブを捻った。 「……鍵かかってんな」 何度かガチャガチャと動かした後そう呟いた彼に少しほっとする。 「お前ねぇ。罠だったらどーすんのよ」 「罠?」 「例えばー…扉開けた瞬間濁流が流れ込んで来るとか。天井が落ちてくるとか、猛獣が入ってくるとか」 悪夢特有のトラップを適当に並べてみたが、桜庭は呆れ顔を浮かべているだけだった。 「とりあえず、ここから出られないことは確定したわけか」 こんな密室で好きな男と2人きり。 我ながら自分の妄想力に感心してしまった。 「……なぁ」 不意に声をかけられ心臓が大きく跳ねる。 「ん?な、何?」 「さっきまでこんなの書いてあったっけ」 桜庭が指差したのは扉の上に取り付けられたホワイトボードだった。 そこには角ばった筆跡で【手を繋がないと出られない部屋】と書かれている。 「手を繋がないと出られない部屋…?」 思わず口に出して読み上げてしまう。 夢というものは自分の願望が現れる事があると言うが、だとしたら幼稚過ぎて恥ずかしくなる。 29にもなって好きな男と手を繋ぐことに憧れを抱くなんて。 己の幼稚さに呆れつつも、俺の頭では既に桜庭の手に触れるイメージトレーニングが行われていた。 「なんだそれ。ふざけてんのか」 俺の気持ちとは裏腹に桜庭は不機嫌さを隠そうともせずホワイトボードを睨みつけていた。 「まぁ夢だし。そんな怒んなって~」 「別に怒ってねーよ」 桜庭はぶっきらぼうに言うとベッドの方へ戻っていき、クッションを一つ掴んでそれを枕にして寝転がってしまった。 「……ま、普通嫌だよなぁ」 男同士で仲良くおてて繋ぐなんて。 手持ち無沙汰になった俺は部屋の中を散策する事にした。 どこかにスイッチや鍵でも隠されていないかとベッドの下や死角になりそうな場所を探したが何も見つからない。 「……ふう」 俺は諦めてベッドに腰掛ける事にした。 夢の中なのに俺の思い通りにいかないのはなんだかもどかしい。 「なー、そんな嫌がらなくても良いじゃんかよー」 男同士で手を繋ぐ事に抵抗があるのは分かるが、ここまで露骨に拒絶されると流石にへこむ。 「俺だってどうせなら桜庭じゃなくてかわいい女の子が良かったよ」 「……」 俺は一応、職場や友人の前では女好きキャラで通っている。 夢の中でさえ自分を偽ってしまう臆病さにうんざりしながらも口から出る言葉を止められなかった。 「……悪い」 冗談めかして言ったつもりだったが、桜庭は申し訳なさそうな表情を浮かべて起き上がった。 「……別にお前の事が嫌ってわけじゃないんだ…けど」 桜庭の歯切れの悪さに首を傾げる。 「……“けど”?」 「ただ、こういうゲームみたいなやり方が気に食わないっていうか」 「あぁ……なるほど」 普段から彼のことをよく観察しているからなのか、桜庭の生真面目で頑固な性格がよく再現されている夢だと思った。 まぁ確かに、これくらいリアリティがあった方が燃えるかもしれない。 「まぁ適当に時間潰してればそのうち夢から覚めるだろ」 そう言って桜庭は寝返りを打って再び壁側を向いてしまった。 「……そうだな」 桜庭と手を繋いでみたいという願望はあるが、それ以上に彼に拒絶されたくないという思いが強かった。 それが例え、夢の中であったとしても。 俺は桜庭の背中を見つめながら小さく微笑んだ。 それからどのくらい時間が経っただろうか。 相変わらず扉が開く気配はない。 俺は少しずつ焦燥感を覚え始めていた。 それは桜庭も同じらしく、先程から何度も扉とベッドを往復しては眉間にシワを寄せている。 この部屋は窓すら無い密室だ。 しかも壁も床も、ベッドさえも全てが真っ白でその上無音。 ずっとこんな部屋に居たら気分が滅入ってしまうのも頷ける。 現実世界ではどれだけの時間が経過しているのだろう。 不意にそんな不安が過ぎる。 「試してみるか」 突然、ぽつりと桜庭が呟いた。 「え、いいのか?」 「このまま閉じ込められてるのもキツいだろ。明日も仕事なのに」 俺の妄想の産物であるはずの桜庭が妙に現実的なことを言うものだから可笑しくなってくる。 彼は俺の左隣に座るとこちらに向かって右手を差し出してきた。 「ほれ」 「お、おお…」 「早くしろ」 平然と言ってのける桜庭とは対照的に、俺の顔には熱が集まっていく。 小柄な桜庭の手は小さいながらも男らしく骨張っていてかっこいい。 何度この手に触れられたいと願った事だろう。 その手が今、俺の手を求めている。 「えっと、じゃあ失礼します」 動揺している事を悟られたくなくてなるべく自然な動作に見えるように、彼の手を握った。 しばらく無言の時が流れる。 心臓の音はうるさいし手汗が滲んでいるような気もする。 そんな事を考えながら桜庭の手の感触を噛み締めていると、不意にガチャリと音が鳴った。 「あ、開いた…?」 「みたいだな」 桜庭が俺の手を離そうとした瞬間、咄嵯に握り返してしまった。 「山吹?」 「あ、悪い」 慌てて手を離したが名残惜しさが込み上げてくる。 「ほらさっさと行くぞ」 桜庭は呆れた様子で扉に向かって歩き出した。 そしてドアノブを捻りながらゆっくりと扉を押す。 その瞬間、視界いっぱいに眩しい光が広がった。 「ん……」 見慣れた天井をしばらくぼんやり眺めていると徐々に意識が覚醒してきた。 俺は枕元のスマホを手に取り、時刻を確認する。 「………え」 画面に表示された時刻を見て血の気が引いた。 始業開始時刻まであと30分。 全身から冷や汗が流れ落ちていくのを感じた。 急げばギリギリ間に合うか……? 俺は勢いよく飛び起き急いで身支度を整え始めた。 アラームを何重にもかけていたはずなのに何故こんな事になったのか。 考えたい事は沢山あるが、とにかく今は遅刻を回避する事が最優先だ。 結局、会社の最寄り駅で降りてからも全力疾走した甲斐あってなんとか遅刻は免れる事ができた。 日頃の運動不足が祟って身体中が悲鳴をあげている。 珍しい事にその日は桜庭も始業開始時刻ぎりぎりにオフィスに飛び込んで来た。 普段の彼なら余裕を持って行動しているはずだが今日に限って何かあったのだろうか。 寝癖がついたままの髪と掛け違えたシャツのボタンはいかにも寝坊したという風体だったが、声をかける間も無く自分のデスクについてしまったので真相は不明のままだった。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!