九 秋桜の窓辺で

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九 秋桜の窓辺で

 病棟のいっかくに、ひだまりがある。  すぐ壁にある大きな窓から、太陽光がおしげもなくそそがれるそこ。  くつろぐ入院患者が途切れないのは、動物としてお日様が恋しいからだけでなく、畳敷きの場所に日本人の血脈つむがれた大和魂が惹かれるのだ、と、華名(かな)はいつも思う。  華名はその畳敷きにスリッパぬいであがり、窓からの景色をスケッチするのが日課だった。  ただ今十九才の乙女。  入院して半月ほど。  病棟の空気にもすっかりなじみ、しかし背負いこんだ病気とは平行線。  長い目でつきあっていきましょう、と、主治医は言う華名も賛成した。  まずは軽くなりすぎた体重を危ぶみ今回の入院へと至る。  恐怖の体重測定と朝食をなんとかすませ、身なり整えたらひだまりに向かった。  いつもどおり誰かは居る。  スリッパぬいで気づいた。  窓辺のちょっとしたスペースに花が活けてある。  牛乳瓶に数本の秋桜の花。  窓辺にのびる硝子と水でよられた光りの波紋。  誰だろ?  ともかくスケッチブックをひらいた。 「華名ちゃん」  背後からの声、察する。 「美晴(みはる)ちゃん」  ふりかえったそこに居たのはそうその子だった。  華名よりふたつ年下の十七才、そうして体はいっしょ、頬がこけてガリガリだ。  拒食症。  ふたりの絆でもあるその病気。 「これね、わたしが活けたんだ。朝すぐ庭に出てよかったから、摘んできた」  かわいらしい白とピンクの花を指さして美晴。  いいね、と華名はほほえんで秋桜のスケッチにうつる。  近くに居たふたりにとってはおじさん世代の男性患者が、花をほめてくれ美晴はちょっと会話した。  そのあいだにサラッと、華名は花を描き終える。  花と牛乳瓶、猫が居る風景。 「華名ちゃんのこの猫好きだな」 「うん、私も描いて気にいってる」  もちもちふわふわの体で、いつもおおらかな表情のデフォルメされた猫。  それにたいしてガチガチとげとげ、いつもおびえている華名と美晴の心。  いつ解放されるんだろう?  いつになったら食べる自分をゆるせるんだろう?  私達はこれからまだ体の変化があり、それを受けいれられるの?  アラサーくらいの同病のお姐さんはたびたび叫んでいる。  なんで食べなきゃいけないの!?  なんでそんな太る薬飲まなきゃいけないの!?  お姐さんとはふたりとも顔見知りで、状態が安定しているとおしゃべり楽しい。  しかし。  でもそれは華名も美晴もおなじ。  なんで、なんで、おなかってすくんだろう?  水を飲んで空腹をごまかしてはいけませんよ  主治医は注意するけど、やらいでか。  食べたくないの  太りたくないの  水の病的な摂りすぎは、体の電解質のバランスを崩し、最悪、心臓の機能に悪影響を及ぼすとかなんとか、理屈はわかるでもだからなに?  食べなくっていいんだよ? 「あのね、ふたりとも。あなた達ならないだろけど、三十路に入るときは気をつけるんだよー? 腹まわり腰まわり、いきなり浮き輪みたいな肉がつく場合があるからね」 「やっだもう、今日はおやつ食べちゃったんだよ言わないで」 「もー、姐さーん!」  くすくす  きゃっきゃ  こんな日々でも楽しいんだ。  入院と云うのは現実からの一時的な避難で、そればっかじゃなんにもならないことはなんとなくわかる。  いつかここを出たその日。  華名も美晴もまだまだ若いだろうそのどこか、見あげる空はやさしいだろうか?  その下で、憎むべき食べモノとまた仲良くお手々つなげるだろうか?  食事が楽しめないのはかわいそうですね  なんだか知識はあるらしい誰かがテレビでもっともらしく言っていたけど、おおきなお世話だよね、と、病棟で見ていた華名と美晴の意見は一致した。  くだんのお姐さんもそうだ。  世界と自分と、氾濫する情報の海でおぼれ、あがいて、めざすのはそう。  健康的に痩せていながら、食べることがあたりまえの毎日。  午後のお茶の時間、あったかいマグを手に、華名と美晴はひだまりに居た。 「いい天気だね」 「いい気分だね」 「でも私の心は、雨」 「ペトリコールのにおいの心地よさ、忘れちゃった?」 「嗚呼、いいねそうだね、それがあったや」  みんな怖い食べモノなんかどっか行け痩せていたいおなかすく生きていたい、と。  ただ、愛しい体を抱きしめる。
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