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「すみません! お2人ともう1人の男性は、喫茶店ではどんな食事を?」
「パンケーキと、私とエリックはコーヒーを。ローリはオレンジジュース」
救急隊員はしばし考え、どこかに電話を掛け始めた。
「セントラルストリートの急患ですが、口にしたものに共通点があるかもしれません! こちらの患者はオレンジジュース!」
サイレンの音に混じって幾つか返事がきてる。救急車の無線のシステムは分からないけど、他の現場とやり取りが出来るみたい。
しばらくすると、他の患者もオレンジジュースを飲んでいることが分かった。
「失礼、飲んだジュースは店独自? それとも市販品?」
「あの店のオレンジジュースは、その場で絞るんです。粗搾り感が結構人気で」
「あたしも、無農薬の新鮮なオレンジが使われているから好きなんです」
事情を説明しているうちに、ローリを乗せた救急車は病院に到着。私はまたあの中央病院の敷地に入ることとなった。
* * * * * * * * *
「通報が早かったから良かったって」
「ローリに何もなくて良かった。あの時、ローリが寒いと言い出さなかったら……。ジュリア、俺からも有難う」
「ほんと助かった。ジュリアがあたしに体調を訊いてくれなかったら今頃」
「やめて、最悪の想像をしても気分が悪くなるだけ。助かった事を喜ぼうよ」
ローリは無事だった。妊娠中で投薬治療が難しかったから、そうなる前に処置が出来て間一髪だったと。
他の人も原因がオレンジであると判断し、経口感染か毒物だと狙いを定めた治療を受けることが出来た。
原因はオレンジそのものだった。
海外への輸出用が、誤って無農薬として出回ってしまったんだって。
それは船倉での長期保存のため、防腐剤を多めに振りかけていたもの。家庭やカフェでざっと表面を水洗いしたくらいで取れる農薬量ではなかったらしい。
ローリが摂取したのは数口。幸いにも胎児に影響はなさそうとの事だった。
「助かったけどさ。胃と腸を洗浄なんて、もう二度としない。三つ編みと体内洗浄は絶対に。それと」
ローリが私の顔を見て、その左右に視線を動かす。
私の背後には死神。もちろん、見えているはずはない。
「幽霊を信じていないのは本当。でも、あたしはジュリアの事は信じてる」
「うん」
「ジュリアの言った事が本当なら、あたしは死神に助けられた事になる。その辺にいるんでしょ、今も」
「……うん」
「じゃあ、伝えて。有難うって、あなたのお陰でみんな助かったんだって」
「……うん。大丈夫、ローリの声は聞こえてる」
ゆっくり振り向いた所には死神がいる。4人部屋の窓際で壁に寄りかかって……ああ、死神って壁に寄りかかる事は出来るのね。
死神の努力や想いがちょっとは報われたんだろうか。
神様は……あー死神も神なんだけど、せっかくいい事したんだから彼を元に戻してくれないかな。元に戻るため、誰かを殺さなきゃダメなの? 助けちゃダメなの?
「ねえ、その死神って、なんて名前なの?」
「え、名前?」
「あんたの話だと元人間なんでしょ? 人間だった時の名前は? まさか死神って呼んでるの?」
「えっと、名前は聞いてなかったわ」
「あんた、死神に死神って呼びかけてんの? 犬や猫にだっておい犬なんて言わないでしょ」
「そりゃそうだけど、死神ちゃんって言えっての? 名前があるなんて思わなかった」
そうだ、何で私名前を聞かなかったんだろう。聞いたっけ? 教えてもらった覚えはない。
「ねえ、名前は? なんだか他にも死神がいるのに死神って呼ぶの、紛らわしいよね」
『……元の名前は教えられない。明かしてはいけないんだ』
「じゃあ、勝手に名前を付けてもいい? いずれにせよ、死神って呼ぶと場所によっては不謹慎というか、不審というか。ここその、病院だし」
『そうだな、確かに』
何て名前を付けよう。
「あー……偶然でも元の名前と一緒だったらまずいから、とりあえずブラックでどう?」
『なぜブラックなんだ』
「さっき私がブラックコーヒーを飲んだから。コーヒーの方がいいならそっちでも」
『オレの服装の見た目が真っ黒だからかと思ったんだが』
「見た目で名前を付けるなんて、失礼だと思わない? 個性がないわ」
ブラックの声は、ローリとエリックには聞こえていない。2人は名前について話す私の声だけを聴いていたけど、しまいには吹き出してしまった。
「ちょっと、ジュリア。何話してんの」
「ワークスで働いていた時、2人して思い切り見た目で客のあだ名を付けていたんだろ? 何をいまさら」
「それは別よ。迷惑客に敬意は払ってない。ただの識別番号みたいなもの」
そう、私の本来の性格はそんなもの。今みたいに人助けに奔走するなんて、私を知る人からすれば異例中の異例。
面倒なことはしたくない、賃金以上の働きをする気もない。
外で困ってる人に声を掛けるだけで誘拐や強盗を疑われる昨今、余計な親切心を見せるつもりもなかった。
職業体験施設で働いていたのに、その程度。結局私も同僚やパートのおばさま達と似たようなものだった。
ひねくれていて、一言多くて、他人の幸せを祝ってるフリで自分の心を騙す。
嫌な女だって自覚があるから直そうとしていたのに、ディヴィッドと別れることになって元の私に戻ってしまった。
ブラックはディヴィッドと別れた私に、更生のチャンスをくれたと思ってる。一緒にいると自分を自分で矯正しなくちゃという気になる。
「じゃあ、死神ブラックには敬意を払ってる、って事?」
「ええ。ローリを助けてくれたし、昨日は通りすがりのお婆さんも助けてくれた。私も……自暴自棄になってる場合じゃないって気が付いた。それはブラックのおかげ」
『オレの名前はブラックで決まりなのか』
「ブラックでもカフェでもモカでも、名乗りたい名前が他にあったらそれでもいいわ」
『……分かった、ブラックと呼んでもらおう』
ブラックが少し笑った気がした。
「なあジュリア。ブラックってさ、俺達の話を聞くことは出来るんだよな」
「ええ」
「じゃあ……ブラック、死神ってどんな感じなんだ? 普通に暮らしている時と何が違う?」
「ちょっと、子供の交霊術ごっこじゃないんだから」
エリックがブラックに話しかけようとする。私がチラリとブラックに視線を向けると、ブラックはゆっくりエリックの傍まで近寄り、顔を覗き込んだ。
顔の前で手を振ったりと、どこか楽しそう。本当はこんなお調子者だったのかな?
ブラックは幾つか正直に答えて、ブラックの正体や死神の掟で言えない事は答えなかった。それを私が代わりに伝えて……いつの間にかローリまで楽しんでる。
私はそんなひと時がとても嬉しかった。
自分がいつ本当に死んで消えるか分からず、自分を死神にした相手も見つからない。
目の前には日常を生きている人がいるのに、自分には誰も気づいてくれない。
そんな孤独だったブラックが、今は私を通じて他人と会話をしている。
正直なところ、ブラックが本当に生き返って普通の生活に戻れるかは分からない。時間切れで救えない可能性も考えている。
でも、そうなっても、最期の最後まで人であることは忘れて欲しくない。
目の前に差し迫って困っている人がいれば、その人を自身の利益も時間も惜しまず捨てて助ける。
そんな優しい死神を生き返らせるという意味だけでなくて、心から救ってあげたい。思いを尊重したい。せめて認められて欲しい。
私はそう思えるようになっていた。
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