7人が本棚に入れています
本棚に追加
ロッカーに戻ると、「退職金を貰えない不愉快な仲間たち」が着替え始めていた。
みんな職場に未練はない。あるのは収入源を絶たれた現実だけ。ベテランのパート達は別れを惜しむわけでもなく、それぞれの今後を話してる。
まあ、選り好みしなければ何かしら出来る時代だもんね。
似合わないピンクの制服ともおさらば、そう言ってむしろ嬉しそうなくらい。
制服は人を選べないのよ。
「あんた、次どこで働くの」
「わたしは失業保険ギリギリまで貰って、それから考えるわ」
「キャー悪い女ねえ! アタシは親戚の車修理工場の事務」
「事務? あんたパソコンなんて使えるの?」
「カタカタとボタン押すだけでしょ? どうせ期待されてないわよ」
パートのおばさま方のお喋りが酷い。ああ、内容のことね。
職業体験施設で働く係員の意識がこの程度。そりゃ潰れる、うん納得。低賃金は悪ってはっきり分かる。
「しばらくはピンク色の制服を見るだけで吐き気がしそうだわ」
「あーやだやだ、この三つ編みともおさらばよ!」
「ワタシも。もう二度と三つ編みはしない。ネバー、もう、二度と、絶対に、しない」
「「あんた似合ってなかったもんね」」
みんなが三つ編みを呪う勢いで声を揃える。
着替えた人からお辞儀したり手を振ったりして出ていき、あっという間に私とローリだけになってしまった。おばさま方とお別れ会に行くつもりはない。
「呆気ないものね。名残惜しい素振りすらなし」
「私達も一緒でしょ。もう1日働いてくれなんて言われたい?」
「もう1日だけ三つ編みしてくれ、頼む! って? 死んでもお断り」
着替えを終え、ロッカーの中の小物を紙袋に入れる。ピンクの制服を回収ボックスに入れたらいよいよお別れ。タイムカードを押し、私達の最後の出勤は終わった。
残務処理の人達は明日からも出るけど、現場スタッフはこれで全員首切り完了。
従業員専用通路からパークの正面玄関横に出れば、僅かなファンが名残惜しそうに写真を撮ってた。有難い事ね、こういう人がいるから閉園記念のやけくそグッズ福袋が在庫の半分も売れた。
ゲート前のがらんとした片側2車線道路は、オレンジ色の明かりが所々照らすだけ。駅まで1キロの広い歩道は、ワークスのために造られたのに……明日から誰が歩くのか。
「あ、やだ、もう来てる」
「じゃあね、ローリ。落ち着いたらまた」
「アパートまで送ろうか? エリックの車にあたし以外を乗せるなんて駄目! って言ったけど、ジュリアなら大歓迎」
歩道脇に車が見える。ローリの彼氏のエリックが5年も探したっていう赤い旧車。スポーツカーって言うんだっけ? 2人の空間にお邪魔しちゃ悪いよ。
「ううん、反対方向だし、週末の食材を買いに行くから」
「終末に贖罪? あんた上手い事言うねえ」
「やめて、失業の夜にきつい冗談」
あまり待たせるのも申し訳ないから、ここでローリとはお別れ。お互いにハグをし、手を振って、ローリは彼氏の車へ、私は駅へ。
「ジュリア! あんた……もう一度だけ行ってみたら!」
「……もういいの! 行っても追い返されるだけ」
「きっと、ディヴィッドはあんたを諦めない! 親と結婚するわけじゃないんだよ!」
「……ディヴィッドから肉親を奪えないわ! それにあの人達も、あの時までは嫌な人じゃなかったの!」
ローリはいつでも私の心配をする。私の失恋に泣いてくれたのはローリだけ。
私の親なんて、ディヴィッドを最後まで「ジョージ」と呼んだ。
ローリはこれから彼氏と幸せになる。自分の心配をするべきよ。私もこれからしばらくは私の心配で手一杯。
優しい友人に手を振り、私は夜道を歩き始める。
「……フフッ、ちょっと、何で観覧車の明かりが点いてんの? 切り忘れたの誰?」
いつもならもっと暗い歩道が何故か明るい。ハッと気づいて右手の旧職場に目をやると、観覧車の明かりが煌々と周囲を照らしている。
「まあ、切り忘れたのは1人しかいない。私よ」
大丈夫、園内には社員がまだいるわ。私は入門証を返却したからどうする事も出来ない。
それよりも暗い空に雲がかかって、今にも雨が降りそう。早く帰りたいわ。
遠くで雷鳴が轟いてる。生憎、傘は持ってきてない。
「ハァ。雷はイヤ。思い出すもん」
先月、彼氏だったディヴィッドが事故に遭った。私を助手席に乗せて、右ハンドルの車を運転していた最中の出来事。
遠くで雷が鳴り、稲妻が見えた。それに気が散った瞬間、対面通行の山道で鹿が左の林から飛び出してきたの。
ディヴィッドは咄嗟にハンドルを右に切った。車は右側の崖に激突して、車は大破。
気が付いたのは2日後、私は病院のベッドの上だった。
腕と足に打撲はあったけど、無傷と言っていいくらいの奇跡。更に2日で退院し、翌日不本意ながら職場に戻れたのはディヴィッドのおかげ。
だけど、ディヴィッドの怪我は酷かった。白いベッドの上で装置に囲まれ、いっぱい線だか管だかを取り付けられて。
骨折どころの話じゃない、ディヴィッドは頭を強く打ち、今も意識が戻らない。
ずっと戻らないかもしれないと言われた。
『あんたが乗ってなかったら、息子は……警察官がそう言っていたのよ、あんたのせいだわ!』
あんなに優しかったディヴィッドの母親にそう言われた時、私は驚きで何も言い返せなかった。
悪い人じゃないのは分かってる。これまで私に対して優しかったのも本心だと思う。
母親として、息子への悲しみを飲み込むことが出来なかったのよ。それは私だって分かるから、結局そうですねと言えただけ。
反対に避けても鹿を轢いても無事じゃ済まなかったと思うけど……なんて、言えないわ。
二度と顔を見せるなと言われ、お見舞いにも行けない。
もしかしたらディヴィッドが死ぬ瞬間を見せないための、最後の優しさだったのかも、なんて思ったりもした。それくらい、それまでは優しい人だった。
「失恋の経験もこの仕事と共にお別れね。ディヴィッドがいっそ記憶喪失にでもなって、私のことを忘れてくれたらいい」
いや、駄目ね。そういうところ、私の悪いところだって言ってくれたじゃない。
「あなたは記憶も含め完全に元通り元気になる。そして、親の説得によって新しい彼女を探す!」
他人が不自由する選択をするな、だったっけ。分かってる。
私はせめてディヴィッドが「前の彼女、サイテーね」「あんな女と付き合うなんてどうかしてる」と言われないようにしなくちゃ。
「だからお願い、雷はやめて、もういいでしょ? もう……」
そう呟いた瞬間、コートの毛が逆立った。静電気が走り、髪が糸で釣られたように広がり始める。歩道橋の上、すぐ隣には大きな避雷針。
だ、大丈夫よね? だって観覧車よりここの方が低いし、雷は高い所に落ちるんでしょ?
「え、やだ、なにこ……」
そう呟いたのが最後、目に前に閃光が走った。私は背中に痛みを感じながら意識を手放した。
まさか、短期間に2度も命の危険を味わうとは、思ってもいなかった。
最初のコメントを投稿しよう!