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この死神は、事故に遭った時に魂を狙われたという。
元気な人間を強引に殺そうとしても、多くの場合は失敗してしまうんだって。
ただ、やみくもに鎌を振れば、誰か1人くらい命を刈り取れるかも……そんな考えで手あたり次第襲う、自暴自棄型の死神もいる。
この死神は、助かるはずだったところを強引にやられたんだ。
『事故現場、水際、病院。それらの場所には死神が良く集まる。死に近い弱り方をした奴がいるからだ』
「……ねえ、そいつはまだ生き返っていないのね」
『相手が死神になってしまった場合、その死神の素となる人間を葬り去るか、連続して5人の命を奪う必要がある』
「そいつが時間切れになったら?」
『俺も道連れだ。死神のまとめ役がそう言ったのを信じるしかないんだが』
色々と複雑だけど、相手はリスクを承知で狙ったのかな。
いや、事故現場なら確実に仕留められると思ったのに、死ななかった……ってことよね、相手は計画が狂って焦ってるはず。
どちらにせよ、意図して鎌を振られたから、この人は死神になったんだ。
死神だろうが何だろうが、人を殺そうとしたのは許せない。
そんな人が目に見えず動き回って、今この瞬間も誰かを殺そうとしていることが許せない。
「大まかに言うと、あなたは誰も殺さずに生き返りたいってことでいいのね」
『そうだ。そして、俺が消えていないのはそいつがまだ死神だからだ』
表情は分からないけれど、佇まいやそのハッキリした口調には決意を感じる。
……見ず知らずの死神を手伝う義理なんてない。分かってる。
だけど、私はこの死神の行く末を見守りたいと思ってしまった。
「オーケー、いいわ。手伝ってあげる。私の手助けが必要とは思えないけど」
『俺は人間の目には映らない。無関係な奴らを守るには協力者が必要だ』
「守る?」
『……死神の能力を手に入れたとはいえ、やっていることは人殺しだ。黙って見ていられるか? 生憎、俺ではターゲットに危険を知らせることができない』
「なるほどね。確かに、私じゃないと死神の存在に気づかない人には忠告できないわね」
死神はまだ死んでいない。呪いや生霊を使って誰かを殺すのと一緒。
もしも死神たちが殺戮を目的とするのではなく、生き返りたいだけだったら。
それなら誰かを殺す自分を死神にした奴から、それぞれ魂を取り返せばいいだけ。
私は死神に狙われた人たちに危険を知らせ、助ける。こいつは他の死神の邪魔をし、説得する。いいわね、どうせ今日明日から就職して仕事をするわけでもないし。
「後悔しない、恥ずかしくないことをする。胸を張れることをやれ! って、恋人にいつも言われてたの。あなたの考え、良いと思う」
『……では、宜しく頼む』
こうして、私と死神の奇妙な共闘は始まった。
「まず、はじめにやるべきことがあるわ」
『何だ』
「この見た目だけで何も役に立たない空間から出て、家に帰ることよ。説教だけ偉そうに聞かせて、こっちの祈りを届ける気がない教会なんてお断り」
* * * * * * * * *
翌日、死神との奇妙な同居2日目。引っ越したばかりの1DKは、まだ荷解きが終わっていない。
元々ルームシェアだったから、荷物は最低限。そのルームシェア期間も、ローリと出会ってからの1年弱しかなかったから尚更。
失業、事故、失恋、引っ越し。そんな心に余裕のないイベントを重ねた私に、部屋を飾る気力なんかなかった。
正直、仕事で気を張っていただけで抜け殻だったんだと思う。
フローリングにはカーペットも敷いていない。今見れば寸足らずなワインレッドのカーテンも、あの時は気にならなかった。窓枠のサイズを測る気にもならなかったの。
2人掛けの小さなソファー、2人掛けの小さなテーブル、まだ1人分しかない食器。本が並んでいない4列5段の本棚の横は、もう埃が溜まり始めている。
「物が少ないんだな」
「ごめんなさい、引っ越したばかりだったから。仕事を辞めたら整理するつもりだったの」
『……そうか。ちょうどいい機会だ、荷解きを済ませたらいい。この体では手伝ってやれないが』
「いいの、あなたには時間がないんだから、先にそっちを済ませましょ」
ディヴィッドとお揃いのカップや共有の携帯ゲーム機なんかは、全て彼の部屋に置いてきた。
調子に乗って撮った変顔も、旅行先の砂浜で夕焼けと共に撮った笑顔も、彼が突然くれた、大きなシャチのぬいぐるみも。
合鍵はまだ持っているけど、もう行くことは出来ない。
「女の1人暮らしっぽくないでしょ? ああ着替える時やシャワーやトイレは覗かないで。あなた男でしょ? 一応まだ生きてるんだから。簡単に裸を見せる女がいいなら他をあたって」
『心配いらない、ベランダにでも出るさ』
この死神は、本当はどんな人なんだろう。何歳で、どんな顔で、どこの病院で誰が心配しているんだろう。
体を見つけ出してくれと言われていないってことは、山奥で倒れているってわけでもなさそうだけど……この死神にも人生があって、やり残したことがあったはず。
私の命の危険が去っていないと言ったり、何かを知ってそうでもある。協力するのは無駄じゃない。
朝から職業安定所で失業保険の手続きをし、午後には外に出てみようということになった。
軽くお化粧もして、髪はポニーテールに。もちろん三つ編みにはしない、二度と。
動きやすい袖なしのベージュのニットにロングスカート。色はブラック。
本当はハイヒールを履きたかったんだけど、ブラウンのブーツサンダルにした。
スクエアのショルダーバッグも邪魔にならないし、死神から目立つ格好でもない。
「これで良し! どう? お洒落に自信はないけど、そんなに違和感もないでしょ?」
『そうだな……ちょっと待った』
玄関の扉を締め、鍵を鞄に入れてマンションの廊下を歩きだしたら、死神が私を引き留めた。
『秘密裏に行動するのに、そんなに踵を鳴らしていてはまずいだろう』
「……靴を脱げっていうの? 裸足で歩く女なんて奇異の目を集めるだけじゃない」
『他に靴はないのか。スニーカーは』
「えっ、持ってない。……分かった、分かったわよ」
音でバレるって言われるなら従うしかない。もちろんスニーカーなんて持ってないから買うしかない。
私は今、無職。無職で入院、無職で新品の靴を購入。こんな調子で大丈夫なのかな。
不幸中の幸いというか、ここは大通りから外れているけど、周囲にはマンションやビルが多い。繁華街も近くて地下鉄もトラムも走ってるから、買い物には不便しない。
私は腹いせにピンクの目立つスニーカーを購入し、履いていた靴を地下鉄のコインロッカーに預けた。
色は音に関係ないもの。
死神のため息が聞こえた気がした。死神って呼吸できるのね。
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