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事故や事件を探し回るという、不謹慎な散歩を始めて1時間が経過した。
当然ながら、そんなに都合良く遭遇するはずはない。
「……なんか、無意味ね。ハハハッ、職も恋人も失った私みたい」
大通りを行ったり来たりし、トラムに乗って郊外まで足を延ばしてもみた。1度だけ追突事故を見かけたけれど、運転手同士で怒鳴り合い、小突き合い、元気過ぎて命に別状はないと思う。
「……せめて笑うくらいしてくれない?」
『冗談のつもりなら、次からもう少し陽気なものでお願いしたい』
他人から見れば独り言。幸いにも周囲に人はいない。
不幸なのは、人がいないから事故も事件も発生しようがないことかしら。
「ねえ、死の香りみたいなの感じないの?」
『ある程度弱っている人間は見分けられるが、事故までは分からない』
「もうすぐ弱る、なんて人は探せないわけね」
予知ができるのなら、それを商売に出来る!
……なーんて無理だったか。そんなに世界は甘くなかった。
いや、今の私の境遇からして、甘くないのはとっくに分かってたはずなのに。
繁華街の方が人も多いし、車も多い。いつの間にか閑静な住宅街に入っていて、聞こえるのはスニーカーのゴムがギュッと鳴る音だけ。
落雷の気配などない快晴、ガレージやフロントガーデンを構えた家が目立つ通り。アパートよりも一戸建てが多く、治安の良さを感じる。
事件事故を待つのなら、間違いなく引き返してスラムに向かうべき。車の通りもまばらな住宅街なんて、すれ違うのはスケボー少年や、携帯ゲームを見ながら歩く少女くらい。
「……あの電動カートが突如倒れるとか」
『電動カート?』
「あの……多分お婆ちゃん。多分ね、お爺ちゃんかも」
緩やかな上り坂を進むと、前方から電動カートに乗るお年寄りがゆっくり近づいてくる。電動カートは車道でいいのかな?
時折歩道が狭くなるし、交差点には段差もあるのよね。そう考えると仕方ないのかな。
子供か孫かが塗ったであろうピンクの車体がよく目立つから、轢かれる事はないと思うけど。
でもね、ピンクは不吉、ショッキングピンクの制服を着ていた私には分かる。潰れたり職を失ったり三つ編みさせられたりするからやめた方がいい。
……しまった、私今ピンクのスニーカー履いてる。
しっかし、こう見ると路上駐車って駄目ね。車道のど真ん中を進まざるをえない老婆なんて、危なすぎる。
死神と一緒にいることで、今までとは違う目線で物事を見れるようになったかも。
郊外の広い道路は、両側に車がずらりと並ぶ。路上駐車上等なのは分かるけど、ガレージがあるのに家の前の道路に止めなくてもよくない?
まあ急発進する様子もないし、走行する車の邪魔になっている様子もない。事件の匂いはしないかな。
「……人が多い所に戻りましょ、ここにいても長閑な1日が過ぎていくだけよ」
私がそう言って元来た道を戻ろうとした時だった。死神が背後でふっと動いた気がした。
「……どうしたの?」
『あの老婆だ』
「えっ」
老婆と言われ、私が咄嗟に確認したのは電動カートに乗った老婆だった。
老婆は俯き加減ではあるものの、ピンクのカートは車道を走り続けている。
「知り合い?」
『……意識を失っているな。ただの加齢と思っていたが、先程よりもやや死期が迫りつつある』
「なんですって!?」
老婆のカートとは数十メートルの差がある。きっと、あと1分もしないうちに横を通り過ぎるくらいの距離。
老婆の体はやや左右に揺れているように見えるけど、確かにこちらを向かない。
「か、確認しなくちゃ! でも電動カートって、手元のレバーを放すと勝手に止まるのよ?」
『見ろ、買い物袋を掛けている。アクセルを握り続けるのが面倒で、あのように楽をしようとする者もいる』
慌てて駆け寄ると、老婆は確かに意識がなかった。電動カートは少しずつ左に逸れていて、私が買い物袋を外して止めた時、前のカゴが路駐の車に掠りそうだった。
「大丈夫ですか!」
白髪が全部染まり切っていない短い髪、深く刻まれた皺。かなりの高齢だと思う。でも口紅をしているし、普段は身だしなみを気にする程の気力があるんだわ。
うすい紫のワンピースは、花なのか草なのか分からない模様が安っぽいけど、清潔感があってほのかに柔軟剤が香ってる。
カートは、やっぱり子供か孫かがあげたであろうシールが幾つか貼られていた。
「お婆さん! き、救急車!」
『……俺に言っているのか?』
「あー……あーもう使えないんだから!」
死神がスマホなんて持ってるわけないよね、そしてボタンなんて押せないよね、分かってる!
「ちょっと、待って、待ってよね、えっと、救急……そう、救急。落ち着いて、えっと、何だっけ、あ、緊急通報よ!」
私は慌てて緊急通話ボタンを押し、救急車を呼ぼうとした。慌てていて、どうやって呼ぶのか分かんなくなってた。
手が震える。他人の命の危機って、こんなに気が動転するものなんだわ。
≪はいこちら救急。病気ですか、事故ですか≫
「あ、えーっと、どっち? 少なくとも事故はしてない、あー事故しそうだったけど事故はしてないの」
≪患者さんの状態を教えて下さい≫
「は、あ、あの、電動カートに、ああああの、ピンクの!」
≪……お怪我は≫
「え、ええ、大丈夫、私は平気、ぶつかってないわ」
≪あの、患者さんは≫
は、患者さんって、何? え、私おかしい人扱いされてる?
「えっと、患者? え、患者?」
≪救急車を呼ぼうと思ったのは何故ですか≫
「あ、えっと、お婆さんが、あー髪は短いし遠目ではお爺さんだけど、ちゃんとお婆さんよ、間違いない。あの、気を失って、あの、電動カートが……」
『おい、俺の言うとおりに答えろ』
「はぁ? あ、ごめんなさい、ちょっと待って下さい!」
死神が私の前に出て、落ち着けと言う。気が動転した私とは違い、死神はとても冷静だった。
「え、場所? 場所は、あー……アミッタ区、ローエン通り……」
『941番地』
「941番地! え、あたし? あたしは……」
『ジュリア・カイト』
「自分の名前くらい分かってる! あっごめんなさい、ジュリア・カイトです。患者の名前? 知らないわ、初めて会ったの」
『杖にメーガン・スミスと書かれている』
「あー、メーガン・スミスさん!」
死神にフォローしてもらい、なんとか通報を終えることが出来た。私はお婆さんのカートを日陰まで押し、救急車の到着を待つ。
サイレンが聞こえてくると、何事かと近所の家から人が出て来た。
「あらやだ、どうしたの」
「このお婆さん、気を失ったままカートに乗ってて」
「……あら、スミスさんところの! 大変!」
この近所のお婆ちゃんだったのか、野次馬のおばさんがどこかに電話をかけ始めた。
その間、お婆さんはカートから降ろされて担架で救急車に運ばれていく。
「あなたが連絡くれた人?」
「あ、ええ、そうです。お婆さんは大丈夫なのでしょうか」
「おそらく熱中症だ。危ない状況だけど、早く見つけてくれたおかげで助けられそうだ。後は病院に任せて」
救急隊員の言葉が頼もしい。その場で簡単な処置をした後、救急車はお婆さんを乗せて颯爽と走り去った。
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