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「……良い事、したわね。死神の邪魔になったかしら。ああ、あなたのじゃなくて」
『そうだな。死神として相応しくないが、清々しい』
そう死神が返事をした時、ふと遠くで黒い影を発見した。野良の犬猫ではない大きさ、ありえない位置での滑空。
「死神……」
『どうした』
「他の死神が、いた。この通りの先、飛んで横切ったの」
『なんだと? 救急車が走り去った方角か。念のため見て来よう』
死神が物凄い速さで飛び去った。お婆さんの命を狙っていた奴がいたのかも。弱っている事に気付いたけど、先に死神がいたから様子を窺っていたってところかしら。
そう考えると、他の死神と鉢合わせる場面を積極的に用意する事は、無駄じゃないかもね。
あいつが探している死神とも、出会うチャンスがあるんだ。
人助けを試みる死神、命を奪おうとする死神。どちらが死神として正しいのか、私が判断できる事じゃないけれど。
死神が元人間なら、やっぱり他人の命は奪わないで欲しいの。
「もし……ディヴィッドが死神になっていたとして、仮にチラッと見えたのがディビッドだったとしても……私は、死神に邪魔をお願いしたと思う。これでいいのよ」
* * * * * * * * *
お婆さんの家族にお礼を言われ、むず痒くなった私は謝礼を断って家路に就いた。お婆さんは意識を取り戻し、明日にでも退院できる。
人助けが出来て良かった。狙っていた死神は悔しかったでしょうけど。
それにしても病み上がりの私に、外で歩き回る1日は堪えたわ。
「お帰りなさい」
『ああ、ただいま。婆さんは無事だったな』
「うん、連絡先を教えていたから、さっき電話があった」
死神との生活に、早くも慣れようとしている自分がちょっと怖い。幽霊と同居して平気な独身女なんて、ネタにはなっても好感は持たれなさそう。
『……何を笑っているんだ』
「ふふっ、いや、世の中には怪奇現象に悩んでる人もいるらしいけど、死神と同居していたら幽霊たちも逃げるだろうなって」
『そうだろうな、俺にも幽霊は見えないが』
「なにそれ、死神ジョーク? 自分の姿が見えてるなら十分じゃない」
ベッドに向かう気力もなく、私はソファに寝そべってまどろむ。
生憎、だらしない、はしたないと注意する同居人はいない。
「自分の体は大丈夫なの? 私とこんな風に一緒にいて、あなたの体は狙われてない?」
『ああ、大丈夫だ』
「ねえ。……ディヴィッドがもし死神になっていて、あなたがディヴィッドに会って、その時あの人が誰かの命を狙っていたら……止めてくれる?」
『……ああ、約束しよう、必ず』
「そう、良かった」
今の私には話し相手が必要だった。励ましてくれるローリでもなく、私を宥めてくれるディヴィッドでもなく、とりあえずあんたが悪いと叱る親でもなく。
ただ、そうかと受け止めてくれるだけの話し相手が。
「あなた、優しいわね。そういうの、とても大事、だ……」
どんな会話をしたのか、はっきりと覚えているわけじゃない。だけど、この時の死神はなんだかとても温かい雰囲気だった気がする。
* * * * * * * * *
翌朝、気付けば7時だった。20時半に帰ってきて、ご飯も食べずにまどろんで……10時間くらい寝ちゃったことになる。
そんな私を起こしたのは、1本の電話だった。
『おい、鳴っているぞ』
「ん、んー……はっ、やだ何時!?」
『7時だ』
「キャー遅刻する! どうしよ!」
『何に遅刻するんだ。ほら電話』
「あ、え? あ、電話! はいもしもし!?」
寝起きでスマホの操作が出来ず慌てながら、なんとか通話ボタンを押すことが出来た。
仕事は止めたってのに、この時間のコールはやっぱり焦っちゃう。
『ジュリア? ごめん起こした?』
「……あ、ローリ? うーんおはよ」
『ああ、寝起きね。ごめん、ちょっと今日時間作れない? 伝えたい事があるの』
「あー……ええ、いいわ。何時? どこに行ったらいい?」
電話の相手はローリだった。仕事を辞めて、雷に撃たれてからは初めての連絡。なんだろう、朝のように清々しいのに、努めて明るい声って感じ。
『郵便局の前のブラウンはどう? 10時』
「喫茶ブラウンね、10時了解。何か持っていくものある?」
『手ぶらでOK。お財布も』
「もう、財布と口紅は持っていく。ええ、ええ。三つ編みしないで向かうわ。じゃあね」
電話を切って、チラリと死神を盗み見る。黒いフードで隠れた顔は分からないけれど、死神には時間の余裕がない。ローリとお茶を約束した私に苛ついているかも。
「ごめんなさい、少しだけローリと会っていいかしら、私の友人なの」
『構わない。助力を願っているのはこっちだからな』
「なるべく早く済ませる。あなたのためにも、目的の死神の動向を掴まなくちゃね」
シャワーを浴び、ミルクを飲もうとして買っていない事に気が付いた。
水を用意して、目玉焼きと、ライスの代わりにパンを食べて出かける準備。
化粧で変わっていく私の顔を、死神はどんな気持ちで眺めているんだろう。
口紅を塗らなかったらちょっと青紫な唇、目の下に棲みついた黒いクマさん。
化粧なんてしなくても綺麗だよと言ってくれる人はいる。お世辞だとしてもね。
だけど、私は自分のそういうくたびれたところが許せないの。
独身、彼氏なし、26歳。今自分に妥協したら、私の未来は暗い。
「……病院ですっぴんを見られた後だから諦めてるだけ、化粧すると別人だなんて言わないでよ」
『予防線を張らなくても気にしていない』
「人前で化粧を落とすのは、人生でもかなり上位に入る覚悟なんだから。ああ、死神も人に含めるとして」
『分かっている』
性格にも化粧が出来たらいいのに、とぼやく私に、死神は何も答えなかった。
きっと、女の実態を知って困惑しているんだ。死神が生き返った時、女に絶望してなきゃいいんだけど。
今日はスキニー黒いのジーンズに、白のボリュームあるブラウス。正直、意地になって買ったピンクのスニーカーには後悔してる。
ジーンズだから見えないにしても、ピンクのスニーカーに白い靴下だと子供みたいだし、赤はくどいよね。やっぱり黒かな。
準備に1時間。死神は外に出たり、戻って来たり。9時半になった頃、私は戻って来た死神と喫茶ブラウンに向かった。
* * * * * * * * *
快晴のビル街の一角、喫茶ブラウン。コンクリートの壁には焦げ茶の木板が張られ、大きなガラス窓は店内に自然光を取り込む。店内も内装は全て木で統一されて、何だか落ち着くの。
お洒落な雰囲気が好きで、ローリとルームシェアをしていた頃は、休日にいつも来ていたっけ。
ディヴィッドとの初デートもここだった。
「ローリ、なんだか久しぶりな気分! エリックも」
「やあ、久しぶりだね」
「ジュリア、来てくれて有難う。あれ、あんたなんか痩せた?」
「あー……うん、実はね」
そういえば、ローリには雷に打たれて入院したことを伝えていなかった。
職場が閉園した日曜からの事を伝えると、ローリは何で言わなかったのと怒った後、お見舞いに行けなくてごめんと謝ってくれた。
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