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本条絵美里には、心の底から憎んでいる人間がいる。
二つ年上の実の姉、本条マリアだ。
見た目だけは天使のように美しい姉の本性は、この世のありとあらゆる醜悪さを煮つめ溶かし固めあげたのかと思うほどに腹黒い。
絵美里の人生は、マリアの搾取なしに語れないほどだ。
小学時代。
幼いころから無口だった絵美里は、実の両親から「なにを考えているのか分からない」と煙たがられていた。
絵美里自身に、悪気はなかった。
ただ、自分の気持ちを言葉にして口に出せる器用さが、足りなかっただけで。
「絵美里。どうして、雄太くんを打ったりしたの」
呆れたような顔で母が重いため息をついた時、絵美里はとっさに口ごもった。
端的に言うならば、雄太に対して、死ぬほど腹が立ったからだ。
しかし、事の経緯を母に語るのは、憚られた。
話せば同情ぐらいはしてもらえたかもしれないが、その代償に、絵美里の自尊心が傷つけられることも確実だったから。
事の発端は、絵美里が、クラスメイトの雄太から「マリアと遊びたいから、遊びに誘ってほしい」とせがまれたことだ。
それ自体は珍しいことではなかった。
小学時代から完成された美しさを誇っていた姉に憧れる男子は、星の数ほどいたから。
(はあ……私を、巻きこまないでほしいのに)
絵美里は、雄太に対しても、「嫌だ。自分で誘いなよ」とすげなく断った。
大抵の男子はそれで諦めるのだが、相手が悪かった。
「はあ? そのぐらい良いじゃん。もしかして、美人なお姉ちゃんばっかり誘われてズルいって僻んでんの? ブスって心まで不細工なんだな」
雄太の放った暴言が、絵美里の心を滅多刺しにした。
もう何も考えられなくなり、本能のままに、彼の頬を平手打ちしていたというわけだ。
後になって冷静に考えると、突発的に暴力に訴えたことについてだけは、少し反省の余地がある。
(……でも。アイツに言われたこと、絶対に話したくない)
話したら最後、絵美里が『かわいそうな子』扱いをされそうで。
自尊心を守るため、仕方なく押し黙った絵美里に、母はため息をついた。
「絵美里はいっつもそう。どうしてなんにも言えないの?」
絵美里と母との間に鉛のような沈黙が落ちると、決まって、マリアの唇から鈴を転がしたような笑い声が漏れる。
「ふふ。ママ、絵美里が困っているわよ? そのぐらいにしてあげれば」
「でも……」
「絵美里も、ウンザリするわよね。自分に話しかけてくる男の子みんなが、あたしと話したいって言うんだもの。いつも迷惑をかけてごめんねぇ、絵美里」
姉は、自分の美しさをハッキリと自覚していて、世界は自分を中心に回っていると本気で思っているような性格だ。
「……私、お姉ちゃんのこと、大嫌い」
隠さずにはいられなかった本音に、母の平手打ちが飛んでくる。
焼けるように頬が熱くなり、眦に涙が浮かんだ。
絵美里は、小学時代に、この家には自分の人権がないことを悟った。
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