発見された自分の●●

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発見された自分の●●

 休日の昼下がりである。  勤めている会社の独身寮にいたら、僕の携帯に警察から電話がかかってきたのだ。 「伊集院康一さんですね? あなたの手帳が落とし物として届けられたのですが」 「手帳? 確かに三年くらい前に無くしましたが、あれが発見されたんですか」  僕はびっくりしたが、とにかく警察署に向かった。  そして落とし物係の警察官から、手帳を返してもらう。  手帳は確かに僕のものだった。  まさか、いまになって発見されるなんて。でも嬉しいな。  三年前の手帳、僕はなにを書き込んでいたかな。かなり忘れてしまっている。  僕は警察署を出てから、近くにあった公園のベンチに腰かけると、手帳をパラパラとめくり始めた。  手帳には、僕の氏名と電話番号、メールアドレス、それに当時の予定や、欲しい物のリストまで細かく書かれていた。  IT系の会社に勤めている僕だが、記録だけはアナログ派なのだ。手帳にペンで書き込まないと、落ち着かないタイプなのだ。  それにしても、確かに当時、こんなことを書いたなあ。  記憶が戻ってきた。ちょっとしたタイムマシン気分だ。  僕はなんだか楽しくなってきたのだが、そのときである。 「ん? 梨花のためにおもちゃを買う。梨紗との結婚記念日、梨花と合わせて三人でお祝い。……なんだ、これ?」  梨紗。  梨花。  謎の女性がふたりも登場した。  知らない。  僕はこんなふたり、知らないぞ。  どういうことだ? 僕は手帳をさらに読み進める。 【五月二十日 父親の三回忌に向けて、寺と電話、打ち合わせ】 【五月二十一日 梨花が発熱。保育園から呼び出し。梨紗が仕事で行けないため、僕が代わりに向かった。あとで課長によく事情を説明しておく! あいさつ大事】 【五月二十二日 梨花、英会話教室テストに合格、A2ランクに上がる 梨花のために鉛筆を買っておくこと 会社で発注ミス 課長に謝罪!】 【五月二十三日 同期の岡部と飲み予定 営業ノルマ達成できず……】 【五月二十四日 梨紗、残業予定 梨花の保育園、お迎え午後五時 ★忘れるな!!】 【五月二十五日 自分が残業(ミスを取り返す!)午後九時まで 母、誕生日(メール送っておく)】  予定やメモが、事細かに書き込まれてある。  全部、僕の字だ。しかし……。 「同期の岡部は知ってる。課長……っていうのは平田課長のことだよな? 母親の誕生日も確かに五月二十五日だ。当時はまだ生きていたんだよな、母さんは。……だけど」  梨紗と梨花って誰だ?  手帳にはところどころ、僕の記憶とは違う情報が書き込まれていた。  そして手帳を最後まで読むと、見覚えのない住所が記されていた。  F県F市、Hヶ丘一丁目に転居、と書かれてある。  転居だって?  スマホで調べてみると、その住所は、現在地からバスで一時間くらいかかる住宅街の中だった。 「……行ってみるか」  手帳の謎が解けるかもしれない。  僕は公園を出てバスに乗り、住所の場所へ行ってみた。  すると、 『伊集院康一』  という表札がかかった、綺麗な一戸建てがそこにあった。  伊集院という苗字は、そうそうあるものじゃない。まして名前まで僕と同じなんて。  まさか、この家は僕の家?  いや、そんな馬鹿な。そんな馬鹿な――こんな家を買った覚えは――  心の中で何度もつぶやいていると、一戸建てのドアが開いた。  中から、三十代と思われる女性と、小学校低学年くらいの女の子がいっしょに登場した。  目が合った。すると彼女たちは、僕の顔を見るなり、 「あなた!」 「パパっ!」 「えっ……!?」  突然、そんな風に呼ばれて僕は戸惑うばかりである。 「どこにいたの。三年もいなくなって。ああ、もう、一体どこにいってたの!」 「ちょ、ちょっと待ってください。僕にはなにがなんだか分かりません。今日、警察からこの手帳が発見されたという連絡があって――」  僕は、彼女たちに事情を話した。  すると、女の子のほうは戸惑ったような顔をするばかりだったが、大人の女性のほうは、落ち着いた声で、 「それじゃ、あなたは今日まで、自分のことを独身だと思い込んで独身寮で暮らして、仕事をしていたの? どんな仕事?」 「どんなって、IT系のシステムを営業する仕事をやっているよ。まあ、我ながらダメな社員だけどさ。それでも十年前に大学を出たあと、新卒で入社した会社なんだ」 「おかしいよ、そんなの。あなたは三年前、包装資材の営業兼事務の仕事をしていたのよ? もっとも、その会社は去年、倒産したけれど」 「そんな。意味が分からない……」  僕と彼女とでは、認識があまりにも違う。  いったいなにが起こっているんだ?  手帳の内容、目の前の家、記憶にない家族。  ああ、ああ―― 「パパ、家に帰ってきて。お願い。……そうだ、パパが梨花たちと一緒に撮った写真も、家にちゃんとあるんだよ?」 「写真も……?」  女の子に言われて僕は、一戸建ての中に入った。  3LDKの平屋だが、綺麗な築浅の家だ。これが本当に僕の家だっていうのか?  やがて女の子が持ってきた写真は、保育園の運動会らしき景色をバックに、女の子と女性、そして、ああ、なんと。――僕が、笑顔で写っていたのだ!  なんてことだ。  ということは、やはりここは僕の家で、この人たちは僕の妻子で―― 「い、いや待てよ。じゃあいまの独身寮はなんなんだ? 今日の朝まで僕は寮で寝ていたんだ。新卒で入社してから十年、ずっとあの寮にいたんだぞ」 「じゃあ、いまから行ってみましょう。あなたが住んでいたという寮に」 「よし」  僕は彼女たちを連れて、独身寮に戻った。  しかし寮に入り、僕の部屋に戻ると、そこはもぬけの殻になっていた。 「そんな馬鹿な! 僕はついさっきまでここにいたのに! そうだ、会社に電話しよう。そうすればきっと、なにかが分かる――」  僕は慌てて会社に電話をかけた。  しかし、電話には誰も出ない。そうだ、今日は休日だもんな。  だったら上司や同僚の携帯にかけよう。……しかし誰に電話をかけても、まったく出ない。  そのとき、寮の管理人さんがやってきた。  僕は管理人さんに迫り寄り、 「管理人さん。僕ですよ、伊集院です。……ねえ、僕のこと知っていますよね? 僕、今朝まで寮にいましたよね?」 「はい? なんの話ですか? それよりもあなた、どちら様です? ここは部外者は立ち入り禁止ですよ」  そ、そんな馬鹿な。  僕は頭がクラクラしてきた。  思わず倒れそうになったところへ、女性が僕を支えてくれた。 「落ち着いて。あなたはきっと疲れているのよ。――そう、あなたはきっと、行方不明になっていたこの三年間、記憶を失ってどこかをさまよっていたんだわ」 「そんな、そんな。僕が、本当は家庭持ちだったなんて」  僕はフラフラしながら、寮の外に出た。  振り返る。今日の朝まで住んでいた場所なのに、いまとなっては部外者扱い。こんなことがありえるのか? 「あなた、落ち込まないで。私はいま、すごく嬉しいの。あなたが帰ってきて。あなたを発見できて」 「梨花も。パパがやっと帰ってきた。パパがおうちに戻ってきた。すっごく嬉しいよ!」 「ごめん。僕はまだ、君たちのことを思い出せないんだ。でも、たぶん、君たちの言うことが正しいんだろうな」  僕はポケットに突っ込んだ手帳をまた開き、その中身を何度も眺めた。 「全部、僕の字だもんな。……いや、待て。同期の岡部と飲むってどういうことだ? あいつは同じIT企業の同期だぞ」 「岡部さんだったら、確かにあなたの同期よ。でも会社が倒産したから、いまはどこにいったか分からないの」 「そうか。同期の岡部はちゃんといたんだな。僕の知っている岡部じゃないだけで。そうか、そうか。……なんだか、思い出してきたような気がするよ。そうか……。僕はこの三年間、ずっと、頭が混乱して、さまよっていたのか。一体どうやって生きてきたんだ? なにもかも分からない、なにもかも……」 「あなた。家に帰りましょう。これからゆっくりと記憶を取り戻していけばいいの」 「そうか。そうだな。……よし、帰ろう、梨紗、それに梨花……」 「パパが帰ってきた。パパが帰ってくる。やったあ!」  僕は二人といっしょに、あの一戸建てに向かい始めた。  そうだ、こんなに優しい家族と、あの綺麗な家がある。  これが現実だ。なにを迷うことがあるんだ。帰ろう、僕の家へ。  今夜から、あるべき生活が僕を待っている。  明日から探すべきは――そうだ、僕の記憶と、職探しだな。  まずはそこから始めよう。  頑張ろう。  家族のために。梨紗と梨花のために! 「――それにしても、ずいぶん大がかりな実験だね、岡部君」 「――はい、平田課長。しかし面白い心理実験になりますよ。突如として現れた新しい過去と未来に、人間はどれくらい適応できるのか。我が社が現在開発している、仮想現実ゲームを作るためには必要な実験でもあります」  それは確かに、大がかりな実験だった。  天涯孤独の社員に、いきなり別の環境、別の家庭を与え、これまで過ごしていた環境をすべて奪い取ると、どうなるのか。  社員と同じ字で書いた手帳を作り、警察に届けた。そうなると当然、社員はその手帳を受け取り、奇妙に思うだろう。その後、社員が手帳に書いておいた住所に向かえば、実験は成功も同然だ。用意しておいた家と、新しい家族。さらに、社員の写真を使って新家族との合成写真も作っておいた。  そして会社の人間や寮の管理人には、伊集院からの電話には絶対に出ないように。伊集院から話しかけられても知らんぷりをするように、と伝えておいたのだ。  たったこれだけのことで、岡部の同期だったあの社員、伊集院康一は、これまでの生活をすべて忘れてしまった。  新家族との生活が、本来あるべき生活だったと思ってしまった。 「伊集院君が、いくら発注ミスやノルマ未到達の多い問題社員とはいえ、こうまでするのは、気の毒な気もするがね」 「その分、綺麗な一軒家に暮らせますし、可愛い家族までつけてやったんです。本来の彼からすれば得られないような幸せですよ。おっと、寮の中にあった私物は、適当な時期にまた落とし物として彼に届けましょう。そうすると伊集院君はまだ、どんな態度を見せるのか。これも実験になりますよ、課長。社長にもよろしくお伝えください」 「いやはや、まったく。岡部君。君のことは出来る社員だと思っていたが、こんな一面まであったとはね。ひとつの発見だ。おっと、あの伊集院君、彼についても、あの切り替えの早さは一種の才能だ。これも発見だよ。彼にもあんな才能があったんだねえ」 「言えていますねえ。そうそう、伊集院君は、とりあえずあの家族と過ごさせて、しばらくしたら、また独身寮の生活に戻すつもりです。そのときはどんな反応をするんでしょうね。それもきっと、面白い結果が見られそうですよ、課長……」
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