一話

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一話

 僕は今とても幸せだ。何度も夢にまで見たあのときの青年が元気な姿で僕の傍にいる。正確には僕が青年の傍に置いてもらっているだけなんだけど、幸せで幸せで、──幸せなはずなのに胸が痛いんだ。僕なんかが青年の……あの方の傍にいてもいいのか、この幸せもまた(・・)すぐに終わりがくるんじゃないかって思うと不安で堪らない。いつだって僕は身分不相応な幸せにすぐに期待しちゃって痛い目にあってきた。それは勝手に勘違いしちゃう僕が悪いんだと思う。だから僕は二度と期待なんかしないって決めたのに──。  あの方は名をノイア・ブライトマンといって、このブライトマン伯爵領の領主様なのだそうだ。やっぱり僕が思った通り高貴なお方だった。  ゲヘたちに襲われそうになっていたとき突然現れたノイア様に、夢かと思ったんだ。だってもう二度と会えないと思っていたからすごくびっくりした。だけどノイア様は夢じゃなくて本物で、ゲヘたちからだけじゃなくて沢山のつらいことからも救ってくださった。もしかしたら僕のことを覚えていてそうしてくださったのかと思ったんだけど、どうやら違うみたい。それならどうして? どうして僕に優しくしてくださるんですか? その答えが聞けたなら僕はこんなに不安にはならなかったのかもしれない。だけど聞けないから、僕もあのことをノイア様に伝えてはいない。  ノイア様の優しさが怖い。この幸せは……僕には勿体無いもの。だから傷つく前に笑ってさよならしようって決めた。結局はそれがノイア様の為にもなるって思ったから。そう思って心の準備をしようとしている僕に、ノイア様は気晴らしにって散歩に誘ってくださる。その上「疲れただろう?」ってすぐに僕を抱っこしてしまわれるから、本当に困っちゃうんだ。期待しちゃいけないって思うのに、期待は不幸を生むって思うのに、ノイア様の優しさが心地よくて、もっとって思っちゃう。もっと傍にいて、もっと笑って、もっと、もっと僕を愛して──。どんどんどんどん僕は欲張りになっていく。会えないときの方がノイア様の幸せだけを願うことができて、物事はシンプル(簡単)だったのかもしれない。こんな叶わない期待を抱くこともなかったのに。 「ほらここの傷は私が悪戯してつけてしまったものなんだ……」  ノイア様が示された所にはなにかをぶつけたのか小さな傷がいくつもあった。こうやって僕に色々なものを見せて楽しそうにお話しくださるけれど、時々ノイア様は昔を懐かしむような、でもとてもつらそうなお顔をされることがある。僕なんかがって思いながらもノイア様を僕のぜんぶで抱きしめる。少しでも悲しい気持ちがなくなれって思いながら。最初は驚いていらしたけれど、すぐに「リヒトは温かいな」って言って抱きしめ返して笑ってくださる。僕はそれが嬉しくて、そして泣きたくなるんだ。  優しいノイア様。格好いいノイア様。どうしたらずっとあなたの傍にいられますか? 僕がもっといい子だったら傍に置いていただけましたか?  訊けやしない想いを胸に、僕はただこっそりと涙を流すことしかできない。 *****  今日は珍しく朝から僕はひとりだった。ノイア様は急ぎのお仕事があって、今日はもうお会いできないかもしれない。自由にしていいと言われたけれどなにをしていいのか、分からなくて考えるのはいつもノイア様のことばかり。  ノイア様は僕のことを度々美しい、可愛いとおっしゃるけれど、そんなはずないんだ。可愛くもないし綺麗でもないから僕は奴隷商のおじさんを怒らせてしまったんだから。自分では火傷を負う前も後も違いが分からないけれど、みんな僕の火傷の痕を見て眉を顰めるから、奴隷商のおじさんは正しいんだと思う。前に僕のことを美しいと言ってくださったあの人(・・・)も、こんなもの(・・・・・)があっても関係ないと言いながらも火傷痕に向ける視線はいいものじゃなかった。ノイア様にそんな視線を向けられたことはないけれど、それでもやっぱり僕は綺麗でも可愛くもないと思う。  こないだノイア様になにがしたいか訊かれたとき、僕は真っ先にノイア様としたいことを思い浮かべてしまった。そんなの答えられるはずがない。ノイア様の親でいたいと思っていたのに、今は別のものになりたいだなんて。そんなこと本当は考えるだけでも許されないんだと思うけれど……ズイ様がノイア様とお話されてるのを見るだけで胸が痛くて苦しくなっちゃう。でも僕はノイア様のご厚意で傍に置いてもらってるだけで、親でも他の特別ななにかでもない。だからノイア様の傍にずっといたいだなんて言えないし、ズイ様と仲良くしないで……だなんて言えるわけがない。  このままじゃ僕、苦しいんだ。傍にいられるだけで幸せだったはずのに、僕は贅沢になっちゃった。  「コンコン」とドアをノックする音がして、開かれたドアから現れたのはここにいるはずのないあの人(・・・)だった。僕は思わず息を呑んだ。 「──やっと……、やっと会えたね」  そう言って笑ったのは、二度と会うことはないと思っていたルイス様──だった。
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