三話 ②

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三話 ②

 やっと出た声は掠れてしまって小さいものだった。ルイス様の耳にも届いたかどうかも怪しいくらいだったけれど、バーン! と音を立てて開かれた扉からはノイア様が現れた。僕は突然のことに驚き、固まったままのルイス様の腕を振り払い、ノイア様の胸へと飛び込んだ。 「ぁさ……まっ。の……ぃぁ……まっ」  僕はノイア様の腕の中で泣きじゃくりながら何度も何度もノイア様の名を呼んだ。僕を抱きしめたまま頭上からノイア様の戸惑った声が降ってくる。 「リヒト……声、が……?」 「の……ぃ、ぁ……さ、まぁっ!」  まだうまくは喋れないがノイア様の名を呼ぶと、ノイア様も喜んでくださっているようで「声も愛らしいのだな」と優しく笑って額にキスをしてくれた。  嬉しい。好き。大好き。難しくはない分かりやすい感情が僕を満たしていく。 「お前は誰だっ!? その子はリヒトなんかじゃないっ! 僕の愛しいペルレを離せっ!」  その怒鳴り声で僕は現実に引き戻され、びくりと肩を震わせた。すると僕を抱きしめるノイア様の腕に力がこめられて、嬉しい。だけど──、 「お前こそ私の愛しいリヒトを攫い、ペルレだなどと──どういうつもりだ」  迎えにきてくださったということはそういうことなのだと思うけれど、でもノイア様から口から直接聞きたい。 「ぼ……く、捨て、ら、れ、てな……いです、か?」 「捨てられ……? まさか、私がリヒトを捨てるはずがないだろう? 何者かの手引きでそいつが屋敷に潜入し、リヒトを奪っていったのだ。怖かっただろう? 本当にすまなかった。警戒を怠った私の落ち度だ」  そんなことない! と僕は頭をぶんぶんと横に振った。怖かったけれど、こうやってノイア様が迎えにきてくださった。それがとても嬉しい。  僕は感謝の気持ちを表すようにノイア様の胸に顔を埋め、すりりと頬擦りをした。するとノイア様のふっと息を吐く音と優しい声が降ってきた。 「私はリヒトが私の傍にいたくないと言うまでは傍にいて欲しいと思っている。できれば一生そんなことは言って欲しくはないが──。絶対に私からはリヒトを手放したりしない」  最後は強く言い切ってくださって、僕はノイア様のおっしゃることを信じることにした。だって僕の心はノイア様のことだけなんだもの。だからもう難しいことは考えない。期待だとか罰だとか、そんなのもうどうだっていい。ノイア様が僕を求めてくださるなら僕は強くなれる。なにが起こったって平気。すべてが幸せ。だから、まずは──決別。ノイア様の腕の中にいながらルイス様の方に向き直った。 「ルイス、様。ぼく、はあなた、が怖い、です。色々して、くださったけど……ごめんなさい。ぼくが、愛している、のはノイア様、ただおひとり……」 「ペルレ……っ」 「ごめん、なさい」  もう一度謝ってぺこりと頭を下げると、ルイス様は諦めたように薄く笑った。 「どうあってもダメということか……。こちらこそ悪かったね……」  僕の声が出ていたなら、僕にもっと勇気があったならルイス様もこんな風にはなられなかったのかもしれない。ゲヘたちと同じだって思ったけど違ったんだ。なにかがルイス様を狂わせちゃっただけだったんだ。僕のせいでお嬢様との婚約が解消されたと聞いた。そのことも関係しているのかな……。だとしてもルイス様の気持ちに応えることはできないけれど。  さようなら僕に優しくしてくれた人。愛してくれた人──。  こんなことを僕が思うのダメなのかもしれないけれど、あなたの幸せを願っています……。  僕は帰りの馬車の中でもノイア様に抱っこされたままで、近すぎる距離と甘い空気に、攫われる前のことを思い、あれでいつもは手加減してくださっていたんだと知った。
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