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「それで、ロビーで不安そうにされていたんですね」
「見てたの?」と四位様は驚かれた。
「すみません、後輩達が四位様のことを心配して、教えてくれたんです」
「あら……心配かけたわね」
「ちなみに、受付で名前を書き間違えたりされませんでした?」
「ああ、あれ?」
四位様は「ふふっ」と笑った。
「受付でなんとなく旧姓を書こうとしたのよ。でも途中で、偽名は犯罪になるんじゃないか、ってやめたの。
……旧姓はね、松谷っていうの。松谷冬美」
「いいお名前ですね」と私は言った。
「ありがとう。
私ね、昨夜あなたの接客が本当に嬉しかったの。夫と旅行して落とし物なんてしてしようもんなら、『お前が抜けてるからだ』って怒鳴られていたもの。
きちんと働いている人に、責められることなく丁寧に対応してもらって、ここでは夫の目を気にしなくていいと思うと安心して、嬉しかったのよ」
昨夜、お部屋をノックしてよかったと私は思った。
少しでも早く、そんな気持ちになってもらえたのなら……。
「昨日、ロビーで仲睦まじい夫婦を見たわ、私はああはなれなかった。
20年間、無駄にしたんだろうかって、この池を前にしてまた、涙が出てきた。
でも」
今度は、松谷様が私を見てうなずいた。
「またあなたが来てくれた。あなただって気づいた時、まるで仏様みたいだって思った。
一人になっても、悪いことばかりじゃないかも。そう考えたら『離婚しよう』って、一瞬で決心がついたのよ」
驚いた。
デートがなくなり、もやもやした気持ちのままここに来た私が、そんな風に見えていたなんて。
松谷様は「ご結婚前の方に聞かせる話ではなかったわね」と付け足した。
急に話が私のことになって、戸惑ったけれど。
胸にはずっと、後輩達に言えない悩みが確かにある。
ここまで打ち明けてくださった松谷様になら、話せる気がした。
「いえ……私も、悩んでいるんです。
結婚して、本当に家族になって、幸せになれるのか」
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