3章 神を鍛える

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3章 神を鍛える

 果のない道に思えた。  この場所にこもるようになってどのくらい経つのだろう。そう思う程度には季節が巡っていた。  けれども全ての物事には終わりがやってくる。全てはどこかに収束する。  時間の経過というものは、様々に物事を変化させる。その間に赤殿も青年に差し掛かるほどには大きく成長された。干将師によく似た強い眦と莫耶師によく似たスラリとした体躯。そしてもう野山を駆け回ることもなく、私と同じように工房の雑務を担い、お師様方の作業を学んでいる。けれども工房外にいる今、その瞳は揺れ動いていた。 「なあ、母上の具合、やっぱよくないよな」  買い出しに近くの村に出ていた時だ。ざわめく往来で突然足を止め、かけられたその言葉になんと答えてよいかわからなかった。  神の剣を作る。私たちの生活の価値の全ては、神剣を作ることで占められていた。それは異常な行いで、鬼気を要するものだ。  その頃の私の認識では、両師とも少し人の枠から離れ始めおられていたように思う。特に莫邪師はよく咳き込み、顔色が黒ずんでいた。けれどもその所作は以前と変わらず凛と機敏で、だから病、というより異変があるとは軽々に指摘できなかった。  それに、指摘したところで何になるというのだろう。何よりも大切な使命があるのだ。莫邪師は休みを取ることはない。だから私にできることは多くない。 「滋養のよいものを作りましょう」 「そういうことを言ってるんじゃない。そもそもこの仕事が良くない」  赤殿の苛立たしげな声が響く。  それもまた、その通りなのだろう。様々な技法を試した上で最後に試みている鍛鉄という方法は、人の体に良くないのだ。  中華の主流は鋳鉄である。鋳型に鉄を流し込み、冷えるのをまって取り出す。  鍛鉄は夏殷より続く古い製鉄方法であると聞く。まさに神代の時代の技法だ。河北にわずかに伝わっていた製法を莫邪師の父である欧冶子が集積していたのだ。炉の中で三日三晩高温に熱した鉄を取り出し、槌で叩く。その鉄は高温で叩かれるうちに不純な物が焼かれて消失し、純粋な神の鉄となる。簡単に言えば、不純物が消失した分、内部にたくさんの穴が空く。それを槌で叩いて潰し、伸ばしあげる。そしてそれを何度も繰り返すのだ。その都度、鉄は硬度を増し、純粋な存在になっていく。だから繰り返す。百度でも、千度でも、神にいたるまで。  加えて鋳鉄に砂鉄や鉄錆を加えて高温で練り撹拌する際には、その様子を見ながら行う。熱と煙で目は焼け、皮膚は煤で黒く爛れた。鉄に大鎚を打ち付け鍛える際には高温に熱された鉄の間近で行う。その熱気で皮膚や呼気は焼け、喉を痛める。  そのようにして純粋な神鉄を作り上げる。  鉄を均一にならすこの作業こそが、熟練の技術を要する。だからこれらの作業は師らしか行うことができず、その槌を離すことはできない。  日増しに師らの怪我は増え、その声は滲む。その鉄を打ち打ちするたびに、莫邪師の人である何かが燃え落ち、神に近づいているのだろう。けれどもその姿の変化以外に何ら変わりがないのだ。その神を宿す精神には。
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