6章 神剣の行方

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 楚王が釜を覗き込んだ瞬間、干赤剣を抜いて王の首を落とした。その瞬間、干赤殿の首が湯の中に溶け混じったのを見た。楚王の首を落としたことで本懐を得たのだろう。そして私の生きる目的も同時に終了したのだ。私は返す刀で自らの首を刎ねた。  ざわざわと全ての音が遠ざかるその中で、走馬灯を見た。師らとの暮らし、その果てに神剣となられたお二人のこと。私の幸福は、それでも師らと暮らしたあの家にしかなかったのかもしれない。  身寄りがなく、たまたま師らに拾われた。そうして神剣を作る旅に出た。だから畢竟、私の中にある記憶とは全てが師らと神剣なのだ。神々しく槌を振るうお二人の姿は、人ではなかった。私にとっては生きながら神仙に至ろうとする神々しいお姿に思われたのだ。  赤殿はそれを否定的に捉えられた。けれども赤殿にとってはお二人は師であるとともにご両親である。だから私と異なる思いを抱かれても当然だとも思う。 「眉間尺、あなたはとても真面目でいい子ですね」 「ありがとうございます」  莫邪師はかつて、よくそのように私に仰しゃっていた。  真面目。私には真面目しか取り柄がなかった。それは重々知っていた。師らのような輝かしい技術も何もない。だから私は神剣など作れない。  それは店を開いてよくわかった。いや、わかっていたことを身をもって実感したというほうが正しい。開いた早々はもてはやされたが、いずれ私の腕がさほどでもないことは知れ渡り、鍋や釜といった依頼しかこなくなった。私は神剣しか打てない。普通の剣は打てなかった。その打ち方を知らなかったから。  だから師らは私を選んだのだろう。赤殿を助けるものとして、神剣にはなれない私を。    5年ぶりに赤殿と会った時、得体の知れない思いが去来した。赤殿は神剣が打てる。それが直感的にわかった。師らの煌めきを受け継いでいる。実際、師らを剣の姿にしたのは赤殿であり、私はただそれを助け磨いただけなのだ。  師らの血を受け継いだのは私ではない。それを師らの工房で過ごしていた時間に知っていた。だから私が干将の名を引き継いだとしても、干将剣を有するにふさわしいのは干赤だった。  悔しかったのだ。私が何者でもないことが。そして怒りを覚えた。  神剣になるだのならないだのを臆面もなく言い放つ干赤を。神剣になることができるのはこの世界と、神と繋がることができる煌めきを有する僅かな者たちだけだということを。それは近くにいた私には痛いほどわかっていた。 「赤殿。楚王を打つためには、楚王に近づかねばなりません。魚腸剣を用いた専諸のように」  私はその時、何を思ってそのようなことを言ったのだろう。 「しかし、どうすればよいのだ」 「楚王に近づく方法があります。それには赤殿の首が必要です」 「俺の首が?」 「ええ。あなたも師らとともに神に至ってください。私はあなたの体を剣にします。あなたの頭を楚王に献上しますから、煮られても焼かれても楚王をにらみ続けてください。楚王が近づいた時、私が必ず楚王の首を刎ねます」  赤殿は私の目をじっと見た。私は強く見返した。  私は赤殿がずっと、妬ましかった。腹いせに、赤殿が死ねばよいと思っただけなのかもしれない。けれども帰ってきたのは、確認するような言葉だった。 「お前も死ぬぞ」  自明だ。楚王の首を飛ばすのだ。生きて帰れるはずがない。 「構いません。私には妻子も何もない。師らに準じるのみです。干将のお名前はお返しし、以降ただの眉間尺に戻ります」 「しかし」 「赤殿、私は到底、師らの境地には達せられません」  赤殿は私の言葉を赤殿はどのように捉えたのだろう。  うなずくと、私の言を疑いもせず、干将剣で自らの首を刎ねた。  そして神に至ったことを証明でもするかのように、首がなくなった赤殿の体は立ち続けたのだ。天は赤殿を照らし、その地に柔らかい影を形作る。地に転がった赤殿の首はひたすら楚の方角を眺めていた。  私が必ず約束を守るまで、立ち続けるだろう。  このまま何もせず立ち去っても、おそらく赤殿は立ち続けるのだ。誰かに首を預けて楚王に献上させても、私が話したようにおそらく楚王をにらみ続けるに違いない。いつまで。  それはそれで、いい気味なのだろうか。  痛感した。私は赤殿が妬ましかった。けれども決して嫌いではなかった。むしろそのあけすけな気質は好感を持っていた。それが、赤殿が死んで初めてわかった。そうして神にも神剣になれも打てもしない私は結局、取り残されたのだ。  無意識に拾い上げた赤殿の首を眺める。その首の角度を変えても、瞳は楚の方角を向き続けた。  私は師らのように天地人を結ぶ覇道をもたらす剣を打つことなどできない。けれども神となった赤殿の死体で人の剣を打つことはできる。それが、神剣の打ち方しか知らぬ私にはわかった。  おそらくそれが、真実私の運命というものだったのだ。  わずかに赤と紫の気をまとうその首と干将剣を片手に楚王に目通りを願った。私は楚王の首を取るつもりだったのだろうか。真面目だけが取り柄の私には、ただの眉間尺に戻った私には最早何もなかったのだ。  そのことにも絶望した。  私は何故、首を煮るように楚王に勧めたのだろう。赤殿に話した言葉も、何かが導いたものなのかもしれない。赤殿の首が無くなって欲しかったのはおそらく私のほうなのだ。  けれども赤殿は煮溶けなかった。やはり神に至った。神になれない私に去来したのは酷い絶望だった。  最後に、ふと、思い出した。  私は、私こそが神剣になりたかったということを。  私は剣を振るっていた。莫邪師が神剣に魅入られたように、私もまた、あの美しい紫色の気に魅入られていたのだ。  私の首はそのまま赤殿と楚王の首の交じる大鍋に落下した。するとふわりと私の周りを紫の気が漂い、3つの首は溶け落ちて一体となり判別がつかなくなったように感じた。
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